2010年09月24日
2010世界選手権 2
2010年の世界選手権団体戦は標高2200メートルのMexico City、2日目は50歳のFredPerry Cupが行はれるClub Aleman de Mexicoというテニスクラブ、英語ではGerman Club、結構セキュリティーもしっかりした会員制クラブでテニスの他サッカー、プール、ジム、レストランなどもある高級クラブでした

ここは標高2200メートル、昨日のクラブより幾分楽なようでした。練習の後は日曜にウェルカムパーティーで市民ホールと小さなスタジアムを貸切、結構立派な開会式でした。
日本チームとして例によってプラカードを持って行進し、
競技場内ではメキシコのダンスも披露されました。観客もかなりいて結構中南米ならではの盛り上がったパーティーでした。



そしてこの式に先立ち運命のキャプテン会議。50歳の
FredPerry Cupは第1シードがアメリカ、第2がオーストリア、続いてオーストラリア、フランスとシードが決まります。今回の参加チームは20カ国、4カ国が2ブロック、3カ国のブロックが4つに分かれます。平均的に見て勝てそうな国は6,7カ国、競るのが4,5カ国といったところ。グループ1から抽選が始まり5ブロックの最後で日本が呼ばれ英国とスロベニア、まあまあのブロックです。最後の6ブロックに残っていたのは、オーストリア、スペイン、アルゼンティン、オランダこの4つは最悪、ほっとしました。さて翌日月曜はスロベニアと初戦、ここには勝たなければ。
頑張りたいと思います。怖いのはボールの飛びとレッドクレーのコートです。

ここは標高2200メートル、昨日のクラブより幾分楽なようでした。練習の後は日曜にウェルカムパーティーで市民ホールと小さなスタジアムを貸切、結構立派な開会式でした。
日本チームとして例によってプラカードを持って行進し、
競技場内ではメキシコのダンスも披露されました。観客もかなりいて結構中南米ならではの盛り上がったパーティーでした。



そしてこの式に先立ち運命のキャプテン会議。50歳の
FredPerry Cupは第1シードがアメリカ、第2がオーストリア、続いてオーストラリア、フランスとシードが決まります。今回の参加チームは20カ国、4カ国が2ブロック、3カ国のブロックが4つに分かれます。平均的に見て勝てそうな国は6,7カ国、競るのが4,5カ国といったところ。グループ1から抽選が始まり5ブロックの最後で日本が呼ばれ英国とスロベニア、まあまあのブロックです。最後の6ブロックに残っていたのは、オーストリア、スペイン、アルゼンティン、オランダこの4つは最悪、ほっとしました。さて翌日月曜はスロベニアと初戦、ここには勝たなければ。
頑張りたいと思います。怖いのはボールの飛びとレッドクレーのコートです。
2010年09月17日
2010 世界選手権団体戦 1
2010年世界選手権はメキシコの首都メキシコシティーで3月29日から1週間行われました。その次の週の個人戦は
Saint Luis Potosiという500キロ離れた町だったので今回は団体戦だけの参加としました。
Mexico Cityは人口世界1の都市、それはどうでも良いんですが海抜2200メートルというのが問題で果たしてシングルスがプレー出来るか心配で少なくとも2日前金曜日に現地に入ることにしました。
今回は50歳が僕と土橋選手、45歳が岩見選手と薮田選手の4人での参加となりました。僕は土橋選手と同行、去年まであったJALのMexico City行きの便が無くなり非常に不便。Vancouver乗り換えでMexicana航空、8時間プラス6時間結構長かったです。空港でAmerican航空で来た岩見、薮田組の待ち合わせ、ITFにピックアップしてもらいホテルに着いたのは深夜、結構疲れた。世界選手権はITFが空港までの送迎をしてくれるので本当に助かります。現地に着いた初日が訳分からなくて一番大変だから。
Official Hotel は Camino Real 結構綺麗なオブジェがあり洒落たホテルでした。

しかしこのメキシコ、よほど盗人が多いらしくホテルのミニバーなど何もかもディポジットが必要、大変そうです。
翌日練習コートをリザーブして Tennis Club Yaqui と
言う35歳の会場でもあるクラブに行きました。バスに乗ること30分、とにかく山を登り続け標高2500メートル、
素敵なクラブでした。 さてショートテニスを始めてびっくり、あまり当たらない、ボールが飛びまくり、ボールにエアはパンパン。 そして始めて10分皆域があがりダウン、その後休み休み練習したけど先が思いやられます。
さて日曜は運命のキャプテン会議とすごく豪華だったウェルカムパーティー他をレポートします。
Saint Luis Potosiという500キロ離れた町だったので今回は団体戦だけの参加としました。
Mexico Cityは人口世界1の都市、それはどうでも良いんですが海抜2200メートルというのが問題で果たしてシングルスがプレー出来るか心配で少なくとも2日前金曜日に現地に入ることにしました。
今回は50歳が僕と土橋選手、45歳が岩見選手と薮田選手の4人での参加となりました。僕は土橋選手と同行、去年まであったJALのMexico City行きの便が無くなり非常に不便。Vancouver乗り換えでMexicana航空、8時間プラス6時間結構長かったです。空港でAmerican航空で来た岩見、薮田組の待ち合わせ、ITFにピックアップしてもらいホテルに着いたのは深夜、結構疲れた。世界選手権はITFが空港までの送迎をしてくれるので本当に助かります。現地に着いた初日が訳分からなくて一番大変だから。
Official Hotel は Camino Real 結構綺麗なオブジェがあり洒落たホテルでした。

しかしこのメキシコ、よほど盗人が多いらしくホテルのミニバーなど何もかもディポジットが必要、大変そうです。
翌日練習コートをリザーブして Tennis Club Yaqui と
言う35歳の会場でもあるクラブに行きました。バスに乗ること30分、とにかく山を登り続け標高2500メートル、
素敵なクラブでした。 さてショートテニスを始めてびっくり、あまり当たらない、ボールが飛びまくり、ボールにエアはパンパン。 そして始めて10分皆域があがりダウン、その後休み休み練習したけど先が思いやられます。
さて日曜は運命のキャプテン会議とすごく豪華だったウェルカムパーティー他をレポートします。
2010年09月15日
2010 Australian Nationals 3
この八月は25日間ドイツに遠征していて久しぶりのブログです。今年のドイツは気温20度前後で雨がちでテニスをするには肌寒いぐらいで最高でした。東京の猛暑の中にいるよりは身体の為には良かったです。オーストラリア人の友人と一緒でまったく日本語を喋らず、生活習慣の違いを感じながらレンタカーで2500キロ走るという結構楽しい旅でした。結果はメインのGerman Seniorでベスト4、Munich Open で優勝と結構ポイントを稼ぎ世界ランキング10位台に入れそうで実りある遠征でした。このレポートは写真が出来次第また報告します。
2010年1月のAustralian Nationalsの50歳ダブルスは今回ドイツ遠征に同行したRicky Genge選手と組みました。第3シードをもらい1回戦Bye、2回戦は地元クイーンズランド州のJohn Gilley, David Teysペア、2人とも190センチ近くの大男で1人は左利き、結構やりにくかったけどペアのリックはあまり気にしていないらしく調子が良く6262と快勝、そして準決勝は第2シードだけど地質ナンバー1、Glenn Busby,Bruce Osbournペア、さすがグレンは世界ナンバー1、ボールの重さに圧倒され浅めのボレーを展開したくてもはじかれてしまい16、セカンドに入り叙序に球速にもなれたが結局36で圧倒されてしまいました。やはりこのレヴェルのボールに慣れなければコントロールできない。

この写真まさにオーストラリアの澄んだ青空すごいです。
次回のオーストラリアの報告ではお勧めのスポットを紹介しようと思っています。
次回は4月メキシコシティーで行はれた世界選手権団体戦をレポートします。
2010年1月のAustralian Nationalsの50歳ダブルスは今回ドイツ遠征に同行したRicky Genge選手と組みました。第3シードをもらい1回戦Bye、2回戦は地元クイーンズランド州のJohn Gilley, David Teysペア、2人とも190センチ近くの大男で1人は左利き、結構やりにくかったけどペアのリックはあまり気にしていないらしく調子が良く6262と快勝、そして準決勝は第2シードだけど地質ナンバー1、Glenn Busby,Bruce Osbournペア、さすがグレンは世界ナンバー1、ボールの重さに圧倒され浅めのボレーを展開したくてもはじかれてしまい16、セカンドに入り叙序に球速にもなれたが結局36で圧倒されてしまいました。やはりこのレヴェルのボールに慣れなければコントロールできない。

この写真まさにオーストラリアの澄んだ青空すごいです。
次回のオーストラリアの報告ではお勧めのスポットを紹介しようと思っています。
次回は4月メキシコシティーで行はれた世界選手権団体戦をレポートします。