2011年01月15日
世界選手権 メキシコシティー
結局50歳団体戦はアメリカ対オーストラリア、知り合いばかりだが少しオーストラリアの方が親しいので豪州びいきだったがアメリカが優勝しました。土橋選手と二人Fred Perry Cupを持って記念撮影、将来煮日本チームが優勝出来る日が来たらいいのに思いながらの写真です。

団体戦で協力してくれた美女スタッフと記念撮影
団体戦で1週間メキシコシティーに滞在するとだんだん町の様子がわかり始め、ようやく最終2日くらいは時間ができ市内を散策、皆で小高い丘の上に立つお城を訪ねました。
ホテルの食事はあまりメキシコ的ではないので町の地元の人でごった返してるレストランに行きました。まったくスペイン語しか通じなく食材の単語など忘れていたので他の人のおいしそうなものにならってオーダーしましたがかなり当たりなレストランでした。

とにかく何もかも不都合だった町メキシコシティーでしたがとりあえず無事終了。帰国の途に。メヒカーナ航空がまた遅れ大変でしたがバンクーバーまで6時間、バンクーバーから成田まで9時間ちょっとと結構疲れました。
一生のうちには後2,3度行くことでしょう。
明日からオーストラリアのナショナル選手権に行ってきます。嵐と大雨に会わなければ良いのですが。始めていくシドニーです。
次回は2010年の国内の試合の決算報告です

団体戦で協力してくれた美女スタッフと記念撮影


ホテルの食事はあまりメキシコ的ではないので町の地元の人でごった返してるレストランに行きました。まったくスペイン語しか通じなく食材の単語など忘れていたので他の人のおいしそうなものにならってオーダーしましたがかなり当たりなレストランでした。

とにかく何もかも不都合だった町メキシコシティーでしたがとりあえず無事終了。帰国の途に。メヒカーナ航空がまた遅れ大変でしたがバンクーバーまで6時間、バンクーバーから成田まで9時間ちょっとと結構疲れました。
一生のうちには後2,3度行くことでしょう。
明日からオーストラリアのナショナル選手権に行ってきます。嵐と大雨に会わなければ良いのですが。始めていくシドニーです。
次回は2010年の国内の試合の決算報告です
2011年01月07日
2010 世界選手権団体戦 7
2010年世界選手権団体戦は木曜のガラディナーも終わり最終戦アイルランドと13,14位決定戦。
前日の変なカナダ人と違い一生懸命プレーするベルファースト出身のWilliam NOTTEMAN選手。 ストロークはしっかり打ってくるけどあまりボレーはあまり得意でないらしい、でも前日の南アフリカ戦では小気味良く打ってくる相手に対してすばらしいプレーをしていたのでケアして試合に臨みました。
試合が始まって、この空気の薄さに慣れたのか、相手のボールが甘いのか不明ながら、ストローク、ボレーとも安定して前日の内容とは程遠い内容で6260と快勝。僕のテニスが何故か彼にはまったく合わないらしく不愉快そうにプレーしたました。西洋人的ハードヒットテニスは日本人的なテニスで対抗すれば何故か対比できないもので、巧妙に立ち回れば彼らを微妙に不安定にしていけると確信しました。
土橋選手もTom Barry選手相手にセカンド苦しみながらも6276とストレート勝ち、勝利が決定。 ダブルスも相変わらずのボールの飛びに苦労しながらTony DAVISON選手、 Taghg O'CONELL選手組に631663で勝ち13位が決定しました。
次回は最後、ちょっと訪ねたメキシコシティーを紹介します
前日の変なカナダ人と違い一生懸命プレーするベルファースト出身のWilliam NOTTEMAN選手。 ストロークはしっかり打ってくるけどあまりボレーはあまり得意でないらしい、でも前日の南アフリカ戦では小気味良く打ってくる相手に対してすばらしいプレーをしていたのでケアして試合に臨みました。
試合が始まって、この空気の薄さに慣れたのか、相手のボールが甘いのか不明ながら、ストローク、ボレーとも安定して前日の内容とは程遠い内容で6260と快勝。僕のテニスが何故か彼にはまったく合わないらしく不愉快そうにプレーしたました。西洋人的ハードヒットテニスは日本人的なテニスで対抗すれば何故か対比できないもので、巧妙に立ち回れば彼らを微妙に不安定にしていけると確信しました。

土橋選手もTom Barry選手相手にセカンド苦しみながらも6276とストレート勝ち、勝利が決定。 ダブルスも相変わらずのボールの飛びに苦労しながらTony DAVISON選手、 Taghg O'CONELL選手組に631663で勝ち13位が決定しました。

次回は最後、ちょっと訪ねたメキシコシティーを紹介します