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廣岡流わがままテニス紀行


廣岡孝通プロフィール
1957年6月6日生まれ
大学では体育会ゴルフ部
25歳でテニスを始め29歳脱サラ31歳全日本出場
40歳から全日本ベテラン4連覇2005年45歳
全日本単複制覇、日本ランキング45歳単複1位
40歳からITFシニアツアー参戦2000年ポーランドで初優勝、
2004/06アジア選手権連覇などで現在世界ランキング13位、
過去最高位6位、社会人からの我流テニスを実践そして挑戦して走り続けています
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2009 Queensland State Championships

5月の世界選手権の後の海外は毎年恒例のクイーンズランド州選手権、毎年ゴールドコーストマラソンと重なりかなり日本人のアスリートで混みあってます。 最近ジェットスターがゴールドコースト近くの空港のクーランガッタエアポートに乗り入れ便利になりました。 とは言うものの僕はいつものようにJALでブリスベンに飛びレンタカー。
この試合、冬の割には暖かいゴールドコーストの人気があり年々レベルが高くなりオーストラリアのトップ選手、ニュジーランドのトップ選手なども集まって50歳は特にきついドローでした。 2008年のアジア選手権の決勝で負けたステファン、ホワイトクロス選手が第1シード、QLD州のマイク、フォード選手が第2シード、僕が第3シード、ニュジーランドの元プロのピーター、ハンプトン選手が第4シードとまさにITFランキング通りのリーズナブルなドローでした。
とりあえずベスト4ぐらいは行きたいなと思いつつ1回戦は
BYE。 2回戦はブリスベンのケビン、スミス選手、彼とは何度も対戦してますがなんせ190センチ近くありリーチも広くやりにくい、調子に乗ると強烈なフォアでぶっ放されます。ただ僕のスライスショットが嫌いらしくやりにくそうです。 快晴冬晴れの中、1stセット5-1までリードしたもののちょっと気を抜いた隙に付け込まれ5-4、どうにか10ゲーム目を死守、6-4,6-1で逃げ切りました。20091214_02
3回戦準々決勝はニュジーランド人のスティーブ、ハーリー選手、ウォームアップではボコボコにフォア、バックを打ちまくり強烈なストローク、いつもアップは外人とやりにくい。とりあえず試合が始まると少し揺さぶるとフットワークが悪くミスショットが多発、でも1stセット相手はまだ元気いっぱいでちょっと甘くなったボールを強打されブレーク合戦になってしまい突き放せず4-4、このあたりから余りのサーブの強打に自分の肘がついていかず、テニスエルボーがひどくなってきたらしく一気にペースダウン。この隙にしっかり付け込んで一気に6-4,6-1、やっぱり打ちすぎは良くないです。20091214_04
試合が終われば非常にソフトな温和な人間なのに、あの試合中のアグレッシブさは凄みがあります。慣れないとやりにくいものです。バンクーバーオリンピックを見ていてもあの勝負に対するアグレッシブなところ日本人の気質とは違いますね、良いか悪いかは別として。
そして準決勝は7月5日0勝3敗の第1シード、ステファンホワイトクロス選手。この日はゴールドコーストマラソン当日、試合に行けなくなるとまずいのでサーファーズパラダイスから逃避してコートの近くのブロードビーチのコンドミニアムに移り、さて4度目の正直というところです。
- to be continued -
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:07 | コメント(5)| トラックバック(0)

2009国内トーナメント 2

2009年東北選手権が終わって次の国内試合は全日本ベテラン、去年は9月にサンシャインコーストの試合に出場して調子が悪くなったので今年は八月、九月と海外には行かず国内調整。でも全日本と全日本ローンのドローを見てがっくり、全日本の1回戦は中西選手、ローンは札の辻選手と1回戦から強豪と対戦、気持ちが重くなってきてしまいました。
ということで緊張の中、全日本の1回戦の中西戦、2人でお互いほとんどサーブアンドボレーでまったくラリーの無い試合、いつもの2人のパターン、どうにか競り勝って1回戦突破、2回戦浜田選手、準々決勝は川原選手に勝って準決勝はペアの佐藤明彦選手、僕と対戦するときいつも何故かノリノリで好調の彼、またも快調にて競り負けてしまいベスト4でした。でもその直後のダブルスの準決勝、大浦、清板組との対戦でも絶好調、彼のおかげでストレートで勝てました。
翌日の決勝、佐藤選手は浦田選手に惜しくもファイナルセット負け、その後突然雨が降り出し室内でのダブルス決勝、相手は丸井、伏喜組、ファーストセットは快調な滑り出しで61、しかしさすが一筋縄ではいかない全日本決勝、セカンドセットは14とリードされたがどうにかその後5ゲーム連取して優勝できました。20091214_10

さて11月の佐賀の全日本ローン、この試合簡単に負けてしまううと、ポイントが急降下差するので強烈なプレッシャーの中での試合でした。 1回戦は前出の札の辻選手、緊張しましたがどうにか6463で勝ちました。2回戦は稲田選手に勝ち準々決勝の渡辺選手との11月10日は朝から土砂降り、インドアでの試合となり、オーストラリアンオープンと同じサーフェスのリバウンドエース。渡辺選手のスピンボールとライジングショットにかき回され手が出ず、2645と絶対絶命に追い込まれてしまいました。ここからとにかく大事なポイントを取られ無かったというだけの展開でその後
7564、終わってみたら約4時間の大接戦でした。この試合は勝てましたがこの試合の疲労が指の痛みを誘発して後のアジア選手権まで引きずって大変でした。しかし1回こういう試合をすると人は開き直れて調子が出るものでポイントをリードされても落ち着いて出来る様になるものです。その後翌日からグラスコートに戻り準決勝は海野選手、決勝は藤崎選手に勝って優勝できました。20091214_12
ダブルスは今回世界選手権に一緒に行った土橋選手と組みました。決勝の日シングルス決勝、ダブルス準決勝、そしてダブルス決勝と3試合することになり、普段だったら体力的には問題ないのですが前々日の接戦のせいかどうか決勝の前に突然の指痛に襲われ前半思い通りのプレーが出来ず後半は良くなってきたのですが坂本兄弟組に4646で負けてしまいました。20091214_13

さて2009年最終戦は佐賀から帰ってきた翌日から昭和の森で行われました。天然芝からサンドグラスになかなかタイミングが変えられず苦労します。準決勝戸木選手、決勝は原田選手に勝って優勝しました。20091214_14
この試合、雨で1日順延、決勝は11月16日、朝八王子の昭和の森で決勝したあと家に戻り、夕方成田空港からバンコクに向けて飛行機に乗るという強行スケデュール二なってしまいました。このアジア選手権は後でリポートします。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:20 | コメント(9)| トラックバック(0)