tennis365.net テニス365ブログ 新着記事を読む ]    [ テニス365 ホームショッピングニュースログイン ]

廣岡流わがままテニス紀行


廣岡孝通プロフィール
1957年6月6日生まれ
大学では体育会ゴルフ部
25歳でテニスを始め29歳脱サラ31歳全日本出場
40歳から全日本ベテラン4連覇2005年45歳
全日本単複制覇、日本ランキング45歳単複1位
40歳からITFシニアツアー参戦2000年ポーランドで初優勝、
2004/06アジア選手権連覇などで現在世界ランキング13位、
過去最高位6位、社会人からの我流テニスを実践そして挑戦して走り続けています
<<  2012年 2月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29      
最近の記事
2010 ヨーロッパ…
02/10 16:50
2010 ヨーロッパ…
02/10 16:50
2010ヨーロッパ遠…
01/24 01:39
2010 ヨーロッパ…
01/16 02:27
2010 ヨーロッパ…
01/02 02:04
最近のコメント
http://www…
ugg ブーツ 10/09 09:44
<a href="h…
moncler jacka göte 10/08 23:18
<a href="h…
ugg sale uk official 10/08 23:15
Do you hav…
Cooper 10/07 12:16
I'm at Liv…
Patrick 10/06 16:02
最近のトラックバック
研究の始まりⅣ
05/17 07:09
federer vs…
02/28 04:59
カテゴリ別アーカイブ
このブログサービスは「テニス365 テニスブログ」で運営しています。テニス365会員なら無料でご利用・作成いただけます。






2010 ヨーロッパ遠征 13

2010年Bad Brezig Senior は残念ながら準優勝でしたが表彰式には地元の人が集まり華やかでした。もちろん賞金もこの試合はありました。20110111_51
毎日試合の後はWeiss Bierコートサイドで飲んでました。20110111_48
試合の後友人宅を目指してゆっくりライン川に沿って一般道でフランクフルトを目指しドライブ、ライン川の両側に数々の城が点在して訪ねながら帰りました。20110111_52
さてすべての拠点であるフランクフルトの友人宅でまた1泊、成田行きのフライトの直前にRickの旧友の誕生日会があるというのでちゃっかりお邪魔してドイツ人宅を見てきました。彼らは結構誕生日会をやってるらしいです。20110111_53
この3週間のヨーロッパ遠征、結果も良く次の年の2011年のランキングに大きく反映しました。とともにオーストラリア人とドイツ人のわれわれと違う感覚に触れてとても楽しく有意義なものでした。
次回は2010年アジア選手権のリポートする予定です。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 16:50 | コメント(6)| トラックバック(0)

2010 ヨーロッパ遠征 13

2010年Bad Brezig Senior は残念ながら準優勝でしたが表彰式には地元の人が集まり華やかでした。もちろん賞金もこの試合はありました。20110111_51
毎日試合の後はWeiss Bierコートサイドで飲んでました。20110111_48
試合の後友人宅を目指してゆっくりライン川に沿って一般道でフランクフルトを目指しドライブ、ライン川の両側に数々の城が点在して訪ねながら帰りました。20110111_52
さてすべての拠点であるフランクフルトの友人宅でまた1泊、成田行きのフライトの直前にRickの旧友の誕生日会があるというのでちゃっかりお邪魔してドイツ人宅を見てきました。彼らは結構誕生日会をやってるらしいです。20110111_53
この3週間のヨーロッパ遠征、結果も良く次の年の2011年のランキングに大きく反映しました。とともにオーストラリア人とドイツ人のわれわれと違う感覚に触れてとても楽しく有意義なものでした。
次回は2010年アジア選手権のリポートする予定です。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 16:50 | コメント(6)| トラックバック(0)

2010ヨーロッパ遠征 -12- Bad Brezig

2011年のBad-Brezig National Seniorは準決勝の金曜日ダブルスの決勝を行い第2シードのJurgen Ackermann,Klaus-PeterKampschulte組に76、41retで優勝しました。どうもドイツの試合はあまりダブルスが盛んではないらしいがここはとりあえず8ドローあってトーナメントになりました。結構相手も上手で競りながらタイブレークを取るとセカンドセットは相手の一人が足を肉離れしてリタイアでした。商品はお金ではなく地元のワイン3本でした。
20110111_47
その夜コートサイドでフランス人、ドイツ人他結構多国籍ナプレーヤーで酒盛り、その後町に繰り出しオーストラリアの友人の一人にワインバーなるものに連れていかれました。
何故か店内は花だらけ、マスターがマイクを持って司会を務めて大騒ぎ、お客はBad-Braizigらしく70歳くらいのおばさまばかり、なんとも言えない状況でした。庶民的で値段も安いですがなんか変なワインで酔ってしまいました。
20110111_49
という訳で不覚にも飲みすぎの決勝戦、相手はドイツのナンバー3、Lutz Groeger選手、背は同じくらいですが超パワフルストローク、まともに打ち合ってたらフォアハンドが強烈でぶっ飛ばされてしまう。ファーストセットやはりパワフルで思いっきり跳ね上がってくるボールに対応しきれずアプローチショットを打ってネットを取る展開にならず36で落とす。セカンドセットに入りようやく跳ねて来るボールをライジングでカットできるようになり、少しずつ相手のミスを誘えるようになった。ファーストからネットダッシュを繰り返しているのでコートのセンターがイレギュラーバウンドが多くなったので、強引にセンターにスライスを打ち、センター勝負していったのが効を奏してセカンドセット62、ファイナルセット、しっかりコート整備をされ水がまかれて遅くなり僕にとっては最悪の状況、まして気分が悪く朝食があまり食べれなかったことで体力不足で走り回れなくなり、残念ながら押されてしまい26、ちょっと残念でしたがやはり彼は強かったです。
20110111_50
彼はケルンのポリスらしくしっかりしてました。また世界選手権で会うことでしょう。実際2011年のクライストチャーチの世界選手権、地震のときプレーしてたのは彼がキャプテンのドイツチームでした。
ーto be continued -
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:39 | コメント(4)| トラックバック(0)

2010 ヨーロッパ遠征 -11- Bad-Breisig

2010年のBad Breisigで泊まったホテルはQueenhofというテニスコートから歩いていける距離にある小さなドイツらしいホテルでした。 綺麗なホテルでしたが案の定ドイツのホテルはダブルベッド、ツインベッドは無いらしくリックと二人考えてマットレスを床に敷いて僕が寝てました。
20110111_45
テニスコートは線路沿いで7面すごく遅く目の粗いレッドクレーでした。時折電車のごう音がして結構やりにくかったです。 
20110111_44
準決勝の相手Michael Stambaum選手です
20110111_46
シングルス準々決勝は前週のドイツシニアにも出ていた
Andreas Tempelhoff選手、結構パワフルなプレーヤーだったのですが彼の仕事が調整つかずW.O.ラッキーでした。
準決勝はマンハイム出身のMichael Stambaum選手、手足長くリーチのあるコンスタントプレーヤー。ファーストセット、ネットを取り相手が僕のスライスに合わず62、このまま押し切りたい展開だったけれど、コートも遅く叙序にパスのコースが良くなり36、ファイナルセット少しステイしてラリーが長くなり結構な持久戦に陥ってしまった。結局どうにかネットの差が出て62で押し切ったものの結構苦しい展開でした。速いコートなら押し切れてもさすがレッドクレーは結構強引な攻めは効かない、決勝は少し変えていかないと。
このトーナメントはディナーパーティーもライン川湖畔のホテルで行われ結構参加者も多く盛り上がりました。
20110111_43
決勝戦はドイツナンバー3のLutz Groeger選手、3月のメキシコの世界選手権で顔を合わしていた人でした。明日よろしくと挨拶したら、どうも僕のことは覚えてたらしく、君のテニスは一度見たら忘れないと言われました。まあそんなもんなんでしょう。では次回に
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:27 | コメント(11)| トラックバック(0)

2010 ヨーロッパ遠征 -10- Bad-Breisig

あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。 あまりこまめに更新できないですがご了承を。
年末、毎年恒例12月30日に関東の選手達で忘年会をやりました。今回も天候に恵まれ20人ほど集まれました。日ごろ試合でしかテニスをしない仲間なのでリラックスしてのテニスは楽しいものです。皆テニス上手いし。
さて2010年のドイツ遠征の最終戦はフランクフルトから約150キロライン川沿いのBad-Breizigという町で行われるInternational tournamentです。カテゴリーも2で結構レベルが高い試合です。20110111_38
この町のライン川のほとりにはホテルとカフェ、レストランが並び、結構年が上の人たちが温泉療養してる場所です。
20110111_39
とりあえずライン川をバックにWeise Beerです。
20110111_42
さてトーナメントは火曜日スタート、50歳は32ドローで僕は第2シード、2回戦イン、僕のパッキンに結構強いプレーヤーが入っていたけどその人がデフォした為、2回戦はデフォ上がりのEdgar Lorenz選手、背ははるかに大きくパワーもあったけどミスが目立ち6161で勝ちとりあえず初戦突破、とりあえずほっとしてます。
- to be continued -

海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:04 | コメント(9)| トラックバック(0)

2010 ヨーロッパ遠征 -7-

毎年12月は忘年会が多くてブログ更新できませんでしたが一段落して再開します。
ミュンヘンの試合が終わり次の試合までのウィークエンド2日間プチ観光、ミュンヘンから南へ下がりあの有名なお城
Neuschwanstein城へ、早朝に出て約100キロ2時間のドライブ、お城の見える田舎町のカフェで朝食を取って、そこから写した写真です。
20110111_33
城のたもとに行くと上に上る馬車は長蛇の列、迷い無く歩いて登り、博物館も入らずサッサと帰って来ました。この1週間後この馬車乗り場で観光客がひかれる事件が起きたところです。結構日本人も多くリックに教えた日本語の悪口をここでは絶対に言うなというくらいでした。
そして次の目的地はNurnberg,約300キロ一気にアウトバーンをすっ飛ばし2時間半で到着、でもホテルも取ってないので市内をぐるぐる回りチェーン店で有名なモーテルワンを発見、どうにか居場所を見つけられた。
土曜日の夕方なので残念ながら店は結構クローズしてたけどどうにかカフェでビールにもありつけBeer in Nurnberg
です。
20110111_35
Nurnbergは第二次世界大戦の後の裁判で有名な所ですが結構昔の城が復元されていて半日観光といったところでした。
20110111_36
翌日フランクフルトに帰る途中Bambergという小さな町によりました。大きな教会を中心とした田舎町ヴェニスのような町と言われるだけあり川に囲まれて川の真ん中に建物があるようなものもありました。
20110111_37
ということでフランクフルトまで250キロ日曜日の午後の渋滞に巻き込まれながらもどうにか到着。ドイツの日曜日は結構渋滞するらしく、スーパーマーケットなどの店が完全に閉まっているので家族でドライブに行くのが多いらしいです。

一日休んでライン川ほとりのBad-Breisigに向かいます。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:54 | コメント(7)| トラックバック(0)

2010 ヨーロッパ遠征 -8- German Senior

2010年German Senior Openのダブルスは同行のリックと組んで優勝しました。どうもドイツを始めヨーロッパの試合はダブルスはあまり人気が無いらしくあまり参加者は多くなく、あのすごく厳しいシングルスのドローに比べてレベルがあまり高くない状態です。とは言うもののGerman Seniorダブルス優勝は非常に嬉しかったです。表彰式の写真です。

20110111_31
Germann Senior Open のディレクターの方とです。とりあえず銅メダルを貰いました。

20110111_30

このダカウの試合は金曜日に終了、次の週のBad-Breisigまでは600キロ、ライン川沿いでフランクフルトをはさんで反対側なので一度フランクフルトを経由して行くことにしました。この週末2日間オフなので珍しくプチ観光をすることになりました。ではこのルートは次回。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:39 | コメント(7)| トラックバック(0)

2010 ヨーロッパ遠征 -7- German Senior

11月は国内外試合続きで忙しく飛び回っていてブログ休んでました。3週連続の試合で体調不調になり少しつめすぎと反省してます。
2010年German Seniorの準々決勝はオーストリア人の
Herbert Riederer選手、いつもランキング10前後で超コンスタントプレーヤー。この日も小雨でコートは湿っていてボールはより遅く弾まない状況。この選手あまり球は強くも重くも無いけれどストロークパスともにプレースメントがすばらしくハードヒットしてくる相手をかわして勝ってきている。
少しペースダウンしてネット勝負という作戦、どうせ打ち合っていてもかわされるのでトリッキーに攻めたいと考えてゲームに入った。アンツーカーの湿っているときはほんとにボールが弾まずスライス系の僕にまったく有利に働きファーストセット6-3、セカンドセットも展開変わらず6-2結構思い通りの展開で勝てました。20110111_28
そして翌日準決勝はドイツ人のHerbert Legat選手、190センチ近くある長身のプレーヤーでサーブストロークともハードヒット、少しこちらの球が甘くなるとむやみにひっぱたかれる展開。とにかくトリッキーな展開で相手のペースを崩していくことが必要不可欠。
ファーストセット少し押されながらも4-3まで競り合った。タイミングをむやみに変え、強引なネットプレーを展開、明らかに相手は戸惑いペースを崩していた。しかしこの大事な8ゲーム目をブレークできず、その後も各ゲームすごく競っていながら大事な1ポイントが取れず4-6、セカンドに入ると相手が落ち着き始めおされ気味になり2-6、ちょっと残念でした。どうにかこのパワーの差を上手くかわせることが課題でした。20110111_29
- to be continued -
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:07 | コメント(6)| トラックバック(0)

2010 ヨーロッパ遠征 -6- German Senior Open

2010年German Senior Openは8月9日月曜日、ミュンヘン郊外Dacauという町でスタート、1回戦の相手はRosenburgという町出身のErnst Palmberger選手、身体は小さいけどフォアハンドが強烈で、ベースライン深い位置にステイしてハードヒットというタイプ、ゆっくりスライスでストロークをつなぎミスを誘うパターンで優位を保ち6161で終了、上手く回った。でも彼は翌週のBad Breisigでは第9シードでQFまで勝ち残った結構強いプレーヤーでした。彼は元カーレーサーだったらしい、いろんな人がいるものです。
20110111_23
2回戦は1日おいて11日ポーランドのRoman Wedrocha選手、10年まえポーランドのPoznannという町でSieroslow Cupというトーナメントの準決勝でプレーした事のある選手。この試合僕の海外初優勝の試合で結構思い出名あるトーナメントで、それ以来ポーランドは印象的な国です。
左利きでとってもステディーなプレーヤー、足を怪我しているということでどんなものなのかと思って試合に入ったけれど、ウォームアップはろくに走らないので2人でノーミス。でも試合が始まると1回戦は勝ってきたものの本当に走れないらしく左右に振るとミスを多発、6260で勝ちました。
この少し前大雨でポーランドに帰る道がエルベ川が氾濫してるらしく通行止めで何時間かかるかわからないと嘆いてました。
20110111_26
Dacauは収容所で有名らしいですがリックは行きたがらないのでDacau Castleにしばし観光、大して大きな城ではなかったけど市内が一望できる高台にある庭園の綺麗な城でした。
20110111_27
次回は準々決勝から、結構シビアな試合でした。




海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:05 | コメント(5)| トラックバック(0)

2010 ヨーロッパ遠征 -5- German Senior

2週目はミュンヘン郊外のDacauという小さな町に移りました。車で約30分ほど適度な距離でした。リックが取ってくれたホテルはHotel Safari畑も真ん中の工業団地のすぐ横、その名の通り動物のモニュメントばかりで余りのも気持ち悪いのでキャンセル、街中をくまなく走り回りやっと見つけたこじんまりしたHotel Huber無線ランもあり典型的なGerman Breakfastの出るホテルで2人満足でした。
20110111_32
テニスコートまでは小さな町なので車で10分、コートは各コートちょっと低い位置にあり皆が見れるようになっている結構洒落たコートでした。20110111_2520110111_24
BMWが特別スポンサーでもないのにクラブハウス前に飾ってありました。
シングルスのドローは32、僕は第5シードとりあえず初戦は火曜日から、相手はドイツ人、1,2シードは強いけどランキング1の大会、レッドクレーにも慣れてきたので楽しみです。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 00:42 | コメント(11)| トラックバック(0)

2010 ヨーロッパ遠征 Munich Senior Open

ミュンヘンシニアの決勝はHaudingen選手、ラフな風貌でサーブもあまり強くないが丁寧なフォアのドライブとバックのスライスというベースラインプレーヤー。何の情報もなく
見たこともなく試合に入り、連日の雨の為ものすごくコートが遅く、序盤ベースラインでボールを繋いでいたらフォアの逆クロスにループボールで展開され劣勢になってしまった。少しドロップショットを打ったが全く機能せずあっという間の1-6。これではセカンドセット仕掛けなければならない展開になり、1ポイント目からノーラリー作戦で、1球目からドロップショットやアプローチで仕掛けラリーをしない作戦に出てこれが徐々に彼のペースが崩れていった、しかし彼はけして自分のペースを変えずセカンド60.ファイナルセット徐々に相手が慣れてきたので1本待って責めるという風にペースダウン、でもだんだん自分が疲れてきて1ゲーム目をブレークしたものの2-1からブレークポイントを握られ数回のジュースを繰り返してやっとキープ。この4ゲーム目の攻防が勝負を分け、各ゲーム40-40にはなるものの流れが自分にあり6-1で押し切り優勝、ファイナル中盤の攻防がキーポイントだった。20110111_19
お世話になったディレクターのNorberとRickと記念撮影。20110111_21
ふつうヨーロッパの試合は賞金が出るのですが賞品だけで残念でした。でも初戦苦手のアンツーカーで優勝、いいスタートでした。
でもこのミュンヘンの市内はほとほと駐車に一苦労、路上は住民の車であふれ、とめるスペースがない、オーストラリア人のリックと僕は何も分からずましてやミュンヘンの人に聞いても分からない状態。十分注意して駐車して結局セーフだったのですが、最終日警察官を捕まえて聞いてみるとどうもミスって駐禁でも5ユーロ程度らしかった、全くミュンヘンの車の駐車には疲れました。
さて次の日からはミュンヘン郊外のダカウに移りGerman Senior です。
ちなみに今僕はフランクフルトのJALのラウンジで書いてます。今年も2週間のヨーロッパ遠征、結構疲れました。
すごくいろんなことがあったのでまたリポートします。



海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:56 | コメント(3)| トラックバック(0)

2010ヨーロッパ遠征 3

Munich Senior Openは16ドロー僕は大シードで8月4日スタート、しかしミュンヘンに着いてから毎日雨で少しやむ間に試合を始めるという状態。会場であるLutipoldpark Tennis Centerは大きな公園の中のテニスコートで大木に囲まれたレッドクレー10面の閑静なクラブでした。20110111_20
1回戦の相手はKelch Wolfong選手、地元の弁護士だそうでテニスは地元のクラブプレーヤーレベル、案の定雨の合間に試合開始、途中で嵐になりながらもどうにか6061で初戦突破。20110111_14
2回戦はKolz Gerhard選手、190センチ近い長身で試合前は自信があるらしく愛想良かったけど試合は僕のスライスボールにまったく合わずあっという間の6061、試合の後は怒って帰ってしまいました。まあよくあるパターンです。
準決勝の8月6日は相変わらず大雨、さすがこの日は雨があがらず車で20分ほど走ったインドアコートに移り準決勝、相手はビックサーバーのNadjafi Horst選手、強烈なサーブだったけどどうもインドアのカーペットコートに慣れていないらしくテンポの早く、また僕のスライスが一段と有効になって展開は一方的で6260、彼は次週のGerman Seniorにも出ている選手なのにレッドクレー以外は苦手なようです。というわけで1週目から決勝進出、相手は結構強かったです、大接戦になった決勝は次回に
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 00:23 | コメント(10)| トラックバック(0)

2010ヨーロッパ遠征 2

前回Beer in Frankfurtの写真が抜けてました。20110111_11
らいん川のほとりの日曜市でのオープンカフェです。
大1戦であるMunich Openは大シードで水曜スタートということで火曜日に移動することに決定、フランクフルトの市のTahirの家のある区域の公営コートでRickと練習、グリーンサンドのコートが4面、無造作に小さな公園の中にあり横にレストランカフェがあるだけでほとんど無人、ここダダで使っていいのかのリックに聞いてもOKOKというだけ、どうも日本人にとっては納得いかないがどうもタダらしいのでその後何度か使わしていただきました。20110111_13
さて火曜日、リックと交互に運転しながらドイツのアウトバーンを一路ミュンヘンへ、夕方に着いたミュンヘンは雨、フリースを着ても寒い8月、小さな地図だけが頼りでようやくオフィシャルホテル Hotel Vitalisに到着。
20110111_22
ミュンヘン市の西北でミュンヘンオリンピックセンターのそばに位置していて結構見つけるのが大変でした。
20110111_15
とりあえず雨ばかりで結構訳のわからないことばかりだったミュンヘンの試合、次回報告します。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 00:10 | コメント(6)| トラックバック(0)

2010 ヨーロッパ遠征 1

2010年夏のヨーロッパ遠征はキャンベラの友人Rick Gengeと二人で彼の友人のいるフランクフルトで待ち合わせてレンタカーで1週目ミュンヘンでの小さなトーナメント、Munich Open Senior, 2週目はミュンヘン郊外のダカウという町で行はれたカテゴリー1のGerman Senior Openに出場して3週目は1度フランクフルトを経由してライン川のほとりのボン近くのバッドブライジッヒという町で行われた
Bad-Breizig International Senior Open に参加するとう計画でした。
ちょっと長い遠征特にドイツなので食事が心配で、カップラーメンを30食、せんべいやみそ汁などバッグ1個に詰めて持ち込みました。オーストラリアなどと違ってユーロ圏は持ち込み問題ないのでたっぷり持ってきました。フランクフルト空港は相変わらず車いっぱい。20110111_10
Rickと待ち合わせレンタカーを借りTahirという彼の友人宅へ、着いた日は週末、店も全く空いてなく、仕方なく日曜の市に行きました、ドイツは日曜は家族を過ごす日という感覚でドライブに行く道は渋滞、でも店のほとんどは閉まっているという状態。市場で売っていたフランクフルトソーセージです。20110111_12
ライン川のほとりでBeer in Frankfurtです。
いい遠征になるのを願ってGerman Beerで乾杯でした。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 00:29 | コメント(2)| トラックバック(0)

 2011世界選手権ニュジーランド 4

2011年のクライストチャーチの世界選手権は個人戦もすべてキャンセルになり、我々も水も出ないホテルでプールの水をくみながらトイレという生活で1週間、いろいろ不満だらけの対応でしたが、その後のこの日本の大惨事、ここでは控えておきます。
先週今年初めて日本の試合で大阪毎日選手権で神戸に行ってきました。普段5月は仙台の東日本選手権に出ていますが今年は地震の影響でキャンセル、シングルス大毎初出場で初神戸でした。50歳シングルスは80近いドローで4回勝って準決勝で岡崎の田中英雄選手に敗れてベスト4、結構長い1週間でした。珍しくダブルスに出場しなかったので、朝早起きで昼にはビールを飲んでいるという生活でした。来週は関東選手権でこの時期は国内の試合で忙しくしています。本当はこの3週間ぐらいヨーロッパは最高のテニスシーズンでオーストリアで3週間とドイツのバーデンバーデンでヨーロッパ選手権と是非行きたい試合があるのですが残念です。
そういえば5月1日のITF世界ランキングでついに9位でした、感激のベスト10入り。 クライストチャーチの世界選手権でポイントを稼ごうと思ってたところでキャンセル、でも昨年のこの大会でポイントを持ってたトップ選手のポイントが無くなり棚から牡丹餅状態でのトップ10入りでした。
理由はともあれ感激です。
さて次回は昨年の8月、オーストラリア人のリックと一緒に回ったドイツの3試合の遠征のリポートをします。この3試合のポイントが今も大きく貢献しています。日本語無しの25日間、native Australianのリックのちょっと違った感覚、楽しい3週間でした。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:25 | コメント(10)| トラックバック(0)

 2011世界選手権ニュジーランド 4

ひき続きクライストチャーチの地震直後の写真です。20110315_08
クライストチャーチの地震の震源は市の中心部から10キロのリトルトンという小さな町付近の直下型で地面が液状化して水が噴出す状態でした。2日前開会式の行はれたセンターコートの下のとおり。20110315_10
結構ゆがんでます。
市内のいたるところ道路も液状化でアスファルトが盛り上がったり陥没したりで、まさに千葉の浦安状態でした。20110315_11
よくテレビでも映った倒壊現場、このほんの1ブロック先のところの我々の宿泊していたHeartland Cotswaldはラッキーにも無事でした。20110315_01
2階建てだったため古かったけど大丈夫だったみたいです。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:59 | コメント(5)| トラックバック(0)

緊急報告 2011世界選手権ニュジーランド 3

ちょっと間が空いてしまいました。4月はキャンベラに遠征しましたがあんなに人のいない成田空港は初めて、JALの飛行機も空席が目立ち、震災の後でやむを得ないとは言え心配になりました。
クライストチャーチの写真を紹介します。20110315_0320110315_02
地震の前々日の開会式、予定通りセンターコートで行われました。20110315_04
3月21日、地震前日の教会、このあともこの中心部で食事をして帰りました。もし1日ずれてたら大変でした。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:03 | コメント(5)| トラックバック(0)

緊急報告 2011世界選手権ニュジーランド 2

クライストチャーチの地震のレポートの途中で先週あの大地震、それぞれ大変な思いをしたと思いますが僕はまたオンコートでした。屋外にいてまた東京都内だったのであまり恐怖の体験はしませんでしたが被災した方の恐怖は察するところで今後の頑張りを切に願ってます。
レポートを続けます。テニスコートを出発できたのは午後6時過ぎ、滅茶苦茶渋滞の中ほんの5キロを1時間かけて進みました。道路は液状化で陥没、アスファルトはめくりあがり橋は崩壊寸前、スタッフは難民キャンプが中心部の近くの公園にあるのでそこに集まるようとの指示でした。ただ我々は地元のニュジーランド人と情報を交換してとりあえずホテルに立ち寄ることにしました。ITFスタッフの話では倒壊の恐れあり立ち入り禁止だったのですが、やっとのことたどり着くと健在でした。停電、断水だけれどとりあえず荷物も無事で、寝場所も確保、ここで大量にストックしてあるカップラーメンが大活躍、電気だけは夜中復旧して食事にも困らず余震におびえながらもこの夜を乗り切りました。
4箇所のオフィシャルホテルはセンターにあるため立ち入り禁止、荷物も貴重品も取りにいけない状態、ちょっとセンターから外れた場所にあるモーテルでラッキーでした。ましてやレンタカーがあるため移動手段も確保してある状態でした。
翌日、赤十字の被災センターでキャプテン会議が行われ、選手の被災認定書と試合の中止が決定されました。個人戦も翌週オークランドに移して開催という案も出てましたがこの被災の状況を考えて中止の決定が出ました。さてここから、帰りたくても帰れない、協力的なのはニュジーランド航空だけで他の航空会社は非協力的、ITFのスタッフは何もなくなってしまった選手達のフォローで忙しくここからはまったく自給自足状態。食料や飲み物は開いているスーパーマーケットを見つけ出し調達できましたが断水はこの後5日間ほど続き、プールの水をくみトイレを流すという生活を続けてました。
3日たった金曜日にはさすがにシャワーが浴びたくなり、銭湯などない国なので、200キロほど走ってハンマースプリングスという温泉場まで行くことにしました。
久しぶりのシャワー快適でした。毎日日本の旅行代理店などにコンタクトしとりあえず3月に入った頃、帰国できるとめどがつき、どうにか男4人で週末を楽しむことにしました。
次回写真をアップしましたので続きを
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:14 | コメント(5)| トラックバック(0)

緊急報告 2011世界選手権ニュジーランド

2010年夏のドイツ遠征の報告予定でしたが、2011年の世界選手権のレポートをします。
今年の世界選手権は先月2月21日からニュージーランドのクライストチャーチで行われました。皆さん知ってのとおり先月22日の大地震で試合はキャンセル、それどころか身動き取れず赤十字から被災者認定を受けるなど大変な思いをしてきたのでその緊急報告です。
今回は50歳の団体戦が僕と土橋選手、45歳の団体戦が岩見選手、薮田選手と小林選手の5人での参加でした。我々は予定通り2月19日現地集合、20日のキャプテン会議まで会場で練習しながら過ごし、予定通り20日の4時から開会式、ウエルカムカクテルパーティーと予定通りの行動でした。今回のWilding Park Tennis Centerは5年前ナショナル選手権の試合で来たこともあるところなので、ロケーションも分かっていたので楽でした。
オフィシャルホテルも6つあり4つはシティーセンターの高級ホテル、2つはちょっと離れたモーテル風でした。どうもこのクライストチャーチ、車しか交通手段がないので構想ホテルよりも2階建てのモーテルが便利だと思い、Heartland Hotel Cotswaldというちょっと安めの郊外のモーテルをとることにしました。朝食も他のホテルと違い付いていなく、キッチンファシリティーも付いていないので、大量のカップラーメン他の食品を持ち込みました。実際行ってみると周りにあまり店もなく、買い物にも不便で4,5日たってからレンタカーを借りようとプランしてたのですが、着いた翌日格安レンタカーを借りることにしました。この2つの決断が今後のニュジーランド滞在の運命の決断だということは誰も知る由もなかったです。
さてキャプテン会議で出されたドローは僕たち50歳は最悪に近いお先真っ暗、45歳はかなり希望に沿ったものでした。そして月曜日、第一戦50歳は第3シード国、英国に敗戦、45歳も第2シードアメリカに敗戦、残念な1日でした。この日少し午後早めに試合が終わったので市内に出かけあのセンターの教会前で写真を取り、旧市内の日本料理店で食事をして、帰りました。そして2月22日火曜日、朝から雨で試合は順延、5人は近くのマクドナルドでコーヒーを飲みながら時間をつぶしてました。 12時近くなって雨もやみコートに行くと12時スタート、50歳はドイツと、45歳はラトビアとの対戦。記念撮影などを終えて12時半頃試合がスタート、4-4、0-15の時あの強烈な縦揺れの地震が起きました。オンコートだったのでフェンスと照明塔の倒れてくるのが怖かったけど少し地割れしたくらいですみました。試合中だったためこの瞬間の様子はビデオに残ってます。対戦相手のドイツ人は地震の後、手の振るえが止まらず経験がないので相当怖がってました。とりあえずすぐ横のインドアコートの壁が落下して、屋外ハードコートはいたるところで亀裂が入り地面から砂が噴出し大変な状態でした。後で知ったところによると、あのシティーセンターよりもこのテニスセンターのほうが震源に近かったようです。
我々は芝生のコートに避難、その後駐車場で選手皆で炊き出しを受けながら夕方まで移動出来ず待機することに。ヘリコプターが飛び、救急車と消防車が走り回りあたり騒然とするなか、渋滞が激しく動きが取れない状態でした。ようやく動きが取れるようになったのは6時過ぎ、幸い夏の為8時くらいまでは明るいので助かりました。ホテルの状態も分からぬまま、車で帰途につくことに。
この続きは近日中に、写真は間に合わずアップできなかったので勘弁です

 






海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:47 | コメント(2)| トラックバック(0)

Queensland State Championships 2

2010年のQueensland Championshipsお準決勝は7月4日の日曜日に行われました。例年この7月第一日曜はゴールドコーストマラソンの日で、お世話になってるドレーク宅からマラソンのスタート直後の写真です。
20110111_04
シングルスの準決勝は去年決勝で負けたPeter Hampton選手、Newzealandの元ATPプレーヤー、この日から冬で寒いせいもあり踵が痛く十分走れなかった。前日とは違いコートは乾いて早く、彼のパワフルなフォアハンドがもの凄く撥ね上がり難しい位展開になってしまった。彼は昨年以上に良く走りまわりことごとくカウンターを食らってしまった。オーストラリアの跳ねるボールと跳ねる固めのオムにコートではこの展開が今後の課題。
20110111_05
今回はミックスダブルスはいつも組んでるKim Miran選手と組んで惜しくも決勝67で負けて準優勝、決勝終わったのが8時過ぎの厳しい試合でした。20110111_07
男子ダブルスは広島の福山の上本選手と組んで出場、第一シードをリーグで破ったにもかかわらず得失ゲーム差で敗退、残念な結果でした。試合が終わってお世話のなってるドレーク宅で皆でパーティーを開いていただきました。
20110111_06
結局シングルスはPeterが優勝しました。このとき痛めた踵がその後治りが悪く苦労してます。やはり何処にいても寒いときは気をつけないとですね。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:25 | コメント(4)| トラックバック(0)

2010 Queensland State Championships 1

2010年のクイーンズランド選手権は例年通り7月の第1週の7月2日から5日Gold Coast Senior TCで行われました。ここ数年この試合レベルが高く2010年からグレード2の試合に昇格、またきつくなりそうです。
今回シングルスは第2シード、2回戦からで初戦は190センチあるオーストラリア在住のニュージーランド人のStuart Owen選手、フォアもバックもハードヒットするものの結構テニスが丁寧で上手く、ファーストセット一進一退で4-4、9ゲーム目の僕のサービスゲーム0-40の絶体絶命の状態から3ポイント取れやっとキープ、ここがターニングポイントとなり6-4、セカンドセットも押し気味な展開で6-2どうにか押し切った。相手も上手く、ボールにも慣れてない出だしが課題だ。20110111_02
翌日の準々決勝、相手は4年前の決勝の相手でオーストラリアの代表選手のMike Ford選手。前の決勝でも3セットで負けた選手で五分五分と思って対戦、しかし前日の夜の大雨でコートがビシャビシャでボールは重くなり、跳ねない為ローボールのラリーになった。この展開はまったく僕に有利でスライスの打ち合いになり微妙に攻勢をとり続けることができ6363で勝利、いつもこんな展開になったらいいのに。20110111_03
準決勝は去年決勝で負けたニュジーランドの元ATPプレーヤー、Peter Hampton選手、結構きつい試合になりそうです。





海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:35 | コメント(8)| トラックバック(0)

世界選手権 メキシコシティー

結局50歳団体戦はアメリカ対オーストラリア、知り合いばかりだが少しオーストラリアの方が親しいので豪州びいきだったがアメリカが優勝しました。土橋選手と二人Fred Perry Cupを持って記念撮影、将来煮日本チームが優勝出来る日が来たらいいのに思いながらの写真です。
20100726_24
団体戦で協力してくれた美女スタッフと記念撮影
20100726_25団体戦で1週間メキシコシティーに滞在するとだんだん町の様子がわかり始め、ようやく最終2日くらいは時間ができ市内を散策、皆で小高い丘の上に立つお城を訪ねました。20100726_26
ホテルの食事はあまりメキシコ的ではないので町の地元の人でごった返してるレストランに行きました。まったくスペイン語しか通じなく食材の単語など忘れていたので他の人のおいしそうなものにならってオーダーしましたがかなり当たりなレストランでした。
20100726_27
とにかく何もかも不都合だった町メキシコシティーでしたがとりあえず無事終了。帰国の途に。メヒカーナ航空がまた遅れ大変でしたがバンクーバーまで6時間、バンクーバーから成田まで9時間ちょっとと結構疲れました。
一生のうちには後2,3度行くことでしょう。
明日からオーストラリアのナショナル選手権に行ってきます。嵐と大雨に会わなければ良いのですが。始めていくシドニーです。
次回は2010年の国内の試合の決算報告です
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:47 | コメント(6)| トラックバック(0)

2010 世界選手権団体戦 7

2010年世界選手権団体戦は木曜のガラディナーも終わり最終戦アイルランドと13,14位決定戦。 
前日の変なカナダ人と違い一生懸命プレーするベルファースト出身のWilliam NOTTEMAN選手。 ストロークはしっかり打ってくるけどあまりボレーはあまり得意でないらしい、でも前日の南アフリカ戦では小気味良く打ってくる相手に対してすばらしいプレーをしていたのでケアして試合に臨みました。
試合が始まって、この空気の薄さに慣れたのか、相手のボールが甘いのか不明ながら、ストローク、ボレーとも安定して前日の内容とは程遠い内容で6260と快勝。僕のテニスが何故か彼にはまったく合わないらしく不愉快そうにプレーしたました。西洋人的ハードヒットテニスは日本人的なテニスで対抗すれば何故か対比できないもので、巧妙に立ち回れば彼らを微妙に不安定にしていけると確信しました。20100726_22
土橋選手もTom Barry選手相手にセカンド苦しみながらも6276とストレート勝ち、勝利が決定。 ダブルスも相変わらずのボールの飛びに苦労しながらTony DAVISON選手、 Taghg O'CONELL選手組に631663で勝ち13位が決定しました。20100726_23
次回は最後、ちょっと訪ねたメキシコシティーを紹介します
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:29 | コメント(4)| トラックバック(0)

世界選手権 団体戦

毎年12月は試合はオフにしていますが忘年会続きで毎晩忙しく過ごしています。今日29日約20年続けてきたCASSインドアが閉鎖、月曜の夜週1回のトーナメントクラスでしたが20年も続いたのでとても残念です。明日からは選手の仲間で毎年恒例の忘年会、大晦日まで遊んできます。

さて世界選手権のリポートは木曜のガラディナー、毎回世界選手権ではそれぞれ趣向を凝らしたディナーですが、今年はバスのピックアップで連れて行かれたのはシティーホール、ここを貸しきって盛大なパーティーでした。ちょっと暗かったので写真がぶれてますがご勘弁20100726_2020100726_17

こんな感じの盛大なパーティー、各テーブルには各国の国旗が飾ってあって人数の多いアメリカ、英国、ドイツ、豪州などは特に盛り上がってました。20100726_18
日本チームは5人、皆フリーフードですが飲み物は有料結構気楽な感じで楽しかったです。
最後の写真はピニャコラーダ、メキシコのカクテル是非行った時はお試しを20100726_21
次回は最終戦アイルランド、最後を飾れるように頑張ります
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:57 | コメント(6)| トラックバック(0)

世界選手権団体戦 

11月は佐賀の全日本ローン、アジア選手権と遠征の為ブログ休んでました。メキシコの世界選手権団体戦の順位別トーナメントの報告をします。
リーグ戦で惜しくも英国に破れ、スロベニアには勝ったものの2位グループ初戦はカナダ、2009年には勝ったものの実力はほぼ同等。
まず初戦の相手はMichel LORTIE選手、最初にビデオのセットが気になると断ってきたので相当神経質なやつだと思って試合に入ったが、案の条、となりのコートから入ってきたボールや周囲にやけに気にして怒りまくっていた。技術的にはまったく問題なくろくに足も動いてないのにミスショットに怒りまくり何を考えているんだか。30センチもフォールトしてるのに覗き込んで文句を言ってきたときはさすがに
目ついてるのかこのくそ爺、と怒鳴ってました、ニコニコしながら日本語で。
結局6062で楽勝、次の土橋選手に託します。20100726_16
土橋選手の相手はAbbass KHILTASH選手、非常にコンスタントのプレーヤー、ファーストセットは競ったものの押し切られ4626で負けてしまいました。彼はモントリオールでテニスクラブのヘッドコーチ、イランからの移民であの2001年の9.11の年も対戦したあと帰国するのが大変だったそうです。ダブルス二かかることになり、Abass KHILTASH選手とJean PIERRE COTE選手ペアと対戦、ファースト16で落とし、セカンド62、ファイナル一進一退66タイブレーク、55から2本落とし惜しくも57、悔しい負け方でした。20100726_15
気を取り直して翌日アイルランド戦、その前にすばらしいシティーホールを貸しきったガラディナーを紹介します。

海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:00 | コメント(9)| トラックバック(0)

世界選手権団体戦 4

2010年世界選手権団体戦グループリーグのシード国イギリスとの対戦は3月30日行はれました。朝練習の後記念撮影、天気も良好でも標高とボールが課題
20100726_10
まず僕がシングルス、Allec Allen選手と対戦。前日のスロバキア戦の選手と同じようなストローカー、まだ標高に会わず改善する気配は無く真ん中にボールを置きに行く展開。最初ブレークされ1-3、相手のストロークにもミスが目立ち5-5、ただ前日とは違いほとんど五分五分、ボールとの距離感が合わず、追い込まれたボールは返せるがチャンスボールへのアクセスがつかめずチャンスミスしてぶちきれ寸前の状態が続く、5-5からブレークされてしまい5-7でファーストダウン。もう開き直ってセカンドスタート、やけっぱちの展開ながら相手のミスも手伝って4-4、相手も不快なのだと感じながらも自分のショットがコントロール出来ず、大事なポイントでコンセントレーションが切れてしまい4-6、悔しい敗戦でした。
20100726_09
土橋選手はイギリスのNo.1、 Stephen Alger選手と対戦、この選手190センチ近いサウスポー、僕が始めて1998年にイギリスのノッティンガムの世界選手権に参加した時に対戦した元イギリス領バミューダのオリンピック選手、ビッグサーバーでかなり手ごわい。ファーストセットは打ちまくられ1-6、セカンドセットの半ばからネットに出てプレッシャーをかけミスを誘い惜しくも4-6。残念ながら2敗してしまった。
ダブルスはMartin Guntrip選手、Rainer Friemel選手ペア、ガンガン打ってくるものの廣岡土橋組ダブルスの戦略が機能して6364でストレート勝ちしました。こうなるとシングルス1つ取りたかった。20100726_09

海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:00 | コメント(9)| トラックバック(0)

2010世界選手権団体戦

世界選手権団体戦リーグ戦初戦は3月29日メキシコシティーのClub Aleman de Mexicoでスロベニアと対戦しました。 リーグ戦は3チーム、日本、イギリス、スロベニア、
イギリスはシード国なので初戦に勝たなければというプレッシャーの中僕がNo.2シングルス、Matjaz Frece選手と対戦しました。 標高2000メートル、メキシコに着いて3日目ようやく息が切れなくなったものボールのはね方は全くフィットせず相手は190センチのアンツーカー育ちのストローカー。ベースラインへのボールが30センチ飛ぶのは調整できるが、手元の1-2センチの誤差がどうしても調整できないのでほとんどミート出来ないため距離、方向性がことごとくぶれる、ましてボールのエアはパンパン、こういう状況ではあまり狙わず真ん中にスピンで入れる、そういうテニスが有効、そんなテニスの相手だった。僕のようなスライスのライジング打ちには全く不利なのでとにかくネット、ネット、
サーブアンドボレー、リターンアンドネットという短期決戦で勝負という作戦。
ファーストセット出だしのゲームをブレークして31、41になるポイントがあったが取りきれず展開がもつれ始め43になるころにはダブルフォールとも多発、だんだんパニックになっていく。5-5から強引に真ん中に打ってネットに出てフレームでもいいからボレーをねじ込むというどうしようもないパターンでポイントをもぎ取り75。セカンドセットに入り相手が入りだし、ことごとく毎ゲームリードするものの大事なポイントで相手の奇跡的スーパーショットでしのがれブレークできず33、44,55、11ゲーム数回のジュースのあとブレーク、12ゲームも15-40なりながらやっとキープし75。ストレスばかりが残るマッチ。今後どうなることやら
20100726_0520100726_06
上の写真が朝の集合写真、下の写真が僕のシングルスの相手
Matjaz Frece選手。
No.1シングルスは土橋選手がスロベニアのGiuliano Nemarnik選手、写真の左側、と対戦、サウスポーのハードヒッターだったが上手く処理してストレート勝ち、これで勝利決定。 ダブルスはマネージャーの井上選手に出てもらいました。この試合は落としたものの2-1で勝利して翌日のイギリス戦が勝負です。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 22:16 | コメント(5)| トラックバック(0)

2010世界選手権 2

2010年の世界選手権団体戦は標高2200メートルのMexico City、2日目は50歳のFredPerry Cupが行はれるClub Aleman de Mexicoというテニスクラブ、英語ではGerman Club、結構セキュリティーもしっかりした会員制クラブでテニスの他サッカー、プール、ジム、レストランなどもある高級クラブでした
20100726_01
ここは標高2200メートル、昨日のクラブより幾分楽なようでした。練習の後は日曜にウェルカムパーティーで市民ホールと小さなスタジアムを貸切、結構立派な開会式でした。
日本チームとして例によってプラカードを持って行進し、
競技場内ではメキシコのダンスも披露されました。観客もかなりいて結構中南米ならではの盛り上がったパーティーでした。
20100726_0220100726_0420100726_03
そしてこの式に先立ち運命のキャプテン会議。50歳の
FredPerry Cupは第1シードがアメリカ、第2がオーストリア、続いてオーストラリア、フランスとシードが決まります。今回の参加チームは20カ国、4カ国が2ブロック、3カ国のブロックが4つに分かれます。平均的に見て勝てそうな国は6,7カ国、競るのが4,5カ国といったところ。グループ1から抽選が始まり5ブロックの最後で日本が呼ばれ英国とスロベニア、まあまあのブロックです。最後の6ブロックに残っていたのは、オーストリア、スペイン、アルゼンティン、オランダこの4つは最悪、ほっとしました。さて翌日月曜はスロベニアと初戦、ここには勝たなければ。
頑張りたいと思います。怖いのはボールの飛びとレッドクレーのコートです。

海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:01 | コメント(0)| トラックバック(0)

2010 世界選手権団体戦 1

2010年世界選手権はメキシコの首都メキシコシティーで3月29日から1週間行われました。その次の週の個人戦は
Saint Luis Potosiという500キロ離れた町だったので今回は団体戦だけの参加としました。
Mexico Cityは人口世界1の都市、それはどうでも良いんですが海抜2200メートルというのが問題で果たしてシングルスがプレー出来るか心配で少なくとも2日前金曜日に現地に入ることにしました。
今回は50歳が僕と土橋選手、45歳が岩見選手と薮田選手の4人での参加となりました。僕は土橋選手と同行、去年まであったJALのMexico City行きの便が無くなり非常に不便。Vancouver乗り換えでMexicana航空、8時間プラス6時間結構長かったです。空港でAmerican航空で来た岩見、薮田組の待ち合わせ、ITFにピックアップしてもらいホテルに着いたのは深夜、結構疲れた。世界選手権はITFが空港までの送迎をしてくれるので本当に助かります。現地に着いた初日が訳分からなくて一番大変だから。
Official Hotel は Camino Real 結構綺麗なオブジェがあり洒落たホテルでした。
20100726_14
しかしこのメキシコ、よほど盗人が多いらしくホテルのミニバーなど何もかもディポジットが必要、大変そうです。
翌日練習コートをリザーブして Tennis Club Yaqui と
言う35歳の会場でもあるクラブに行きました。バスに乗ること30分、とにかく山を登り続け標高2500メートル、
素敵なクラブでした。 さてショートテニスを始めてびっくり、あまり当たらない、ボールが飛びまくり、ボールにエアはパンパン。 そして始めて10分皆域があがりダウン、その後休み休み練習したけど先が思いやられます。
さて日曜は運命のキャプテン会議とすごく豪華だったウェルカムパーティー他をレポートします。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:51 | コメント(5)| トラックバック(0)

2010 Australian Nationals 3

この八月は25日間ドイツに遠征していて久しぶりのブログです。今年のドイツは気温20度前後で雨がちでテニスをするには肌寒いぐらいで最高でした。東京の猛暑の中にいるよりは身体の為には良かったです。オーストラリア人の友人と一緒でまったく日本語を喋らず、生活習慣の違いを感じながらレンタカーで2500キロ走るという結構楽しい旅でした。結果はメインのGerman Seniorでベスト4、Munich Open で優勝と結構ポイントを稼ぎ世界ランキング10位台に入れそうで実りある遠征でした。このレポートは写真が出来次第また報告します。

2010年1月のAustralian Nationalsの50歳ダブルスは今回ドイツ遠征に同行したRicky Genge選手と組みました。第3シードをもらい1回戦Bye、2回戦は地元クイーンズランド州のJohn Gilley, David Teysペア、2人とも190センチ近くの大男で1人は左利き、結構やりにくかったけどペアのリックはあまり気にしていないらしく調子が良く6262と快勝、そして準決勝は第2シードだけど地質ナンバー1、Glenn Busby,Bruce Osbournペア、さすがグレンは世界ナンバー1、ボールの重さに圧倒され浅めのボレーを展開したくてもはじかれてしまい16、セカンドに入り叙序に球速にもなれたが結局36で圧倒されてしまいました。やはりこのレヴェルのボールに慣れなければコントロールできない。 
20100316_07
この写真まさにオーストラリアの澄んだ青空すごいです。
次回のオーストラリアの報告ではお勧めのスポットを紹介しようと思っています。
次回は4月メキシコシティーで行はれた世界選手権団体戦をレポートします。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 00:48 | コメント(4)| トラックバック(0)

Australian Nationals 2010

2009年はアジア選手権の優勝で終わり最終ランキングも17位と結構最高の部類に入る状態でした。でも2010年は世界選手権がメキシコシティーで4月第一週、キャンベラの試合と重なり大きな問題あり。そこで1月にゴールドコーストで行われるオーストラリアナショナル選手権に急遽出場することにしました。ということで行きなれたゴールドコースト、真夏で暑いですが。
1月19日スタートの1回戦Wayne Swayland選手、結構ダブルスで対戦してるので分かっている相手ですがシングルスは初めて、サウスポーでフォアの一本勝負タイプ、とりあえず適度にフォア攻めで6161と楽勝しました。でも夏のゴールドコーストは暑い。真冬の日本から来るとかなりきついです。 20100316_03
2回戦はニュージーランド人のJohn Tetteroo選手、
190cm近くありスピードはすさまじかったけれど左右前後に走らせると確率ががた落ち、結構一発エースは食らったけれど結局6262。 20100316_04
でも日本は1月まったくのオフシーズンなのでやはりぜんぜん調子が出ずなんかギコチナイ展開。
準々決勝はまたアジア選手権でもやったStephen Whitecross選手、やはり同じくらいの相手になると調子の悪さが露骨に浮き彫りになりファーストセット、スピードについていけず1-6、セカンドセット少しリズムを変えて5-5までこぎつけたが結局5-7、この状態ではしょうがないかな。
次回はまた戦略建て直しです。20100316_05
結局50歳シングルスは世界ナンバー1のGlenn Busby選手が僕がQueensland State Champの決勝で負けた、ニュージーランド人Peter Hampton選手を6162で破り優勝しました。さすがに彼は強い。ダブルスで対戦できるので楽しみです。 次回はダブルスとゴールドコーストのおすすめスポットを。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 23:08 | コメント(3)| トラックバック(0)

Asia Senior Championships 4

2010年のアジアシニア選手権の50歳のダブルスは埼玉の須藤選手と組みました。彼はサウスポーなので久しぶりのフォアサイドでのダブルス、ましてハードコートと緊張した中、1回戦はBye、2回戦は香港のManqueros選手、アイルランド
のYoung選手組、2人とも白人選手らしいハードヒットダブルス、最初スピードに着いていけず36でダウン、セカンドセットになるとスピードにもなれ日本人のダブルスらしい展開になると相手のボロが出て62、ダブルスはファイナルセットは10ポイントタイブレーク、これもセカンドセットからの調子のまま10-4危なかったけど初戦突破。20091214_21
準決勝はタイ人ペア、Chompoosr選手とSommit選手、タイの選手はパワーは無いけど結構ダブルスが上手い傾向にある。結構タイ国内でもダブルスが人気があり日本人と同様個人個人より団体戦を好むらしい、とタイ人が申して降りました。この相手はあまり問題なく6361で勝ちました。20091214_25
決勝はやはりタイペア、日本語が流暢で日本人の面倒を良く見てくれお世話になってるChansewikul Pairoj選手と
Tupou選手、ファーストセット結構丁寧なテニスでミスが少なくコントロールされ6-4、セカンドセットから相手の弱点を見出し6-1、優勝することが出来ました。20091214_27
単複優勝は最高、年に一度はしたいですね。2010年は東北選手権と2つ出来たから最高です。
20091214_29
このカテゴリー2のアジア選手権の優勝でITFシニアランキングは10位台になりました。最高ですが2011年これをキープするのは大変、来年のアジアはきつそうです。

タイではいろいろなタイの人にお世話になってますが、45歳のダブルスで優勝しているSakchai選手は日本びいきで今年は前出のダブルスの決勝で当たったPairoj選手とともにパタヤの有名なレストラン、ナンヌアルで日本人選手たちを招待してくれ楽しい夜を過ごしました。20091214_2320091214_22

さて次回は2011年1月にゴールドコーストで行われた、
Australian Nationalのレポートをします。4年ぶりに参加のこの大会、さすがオーストラリア中からトップ選手が集まってました。

海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:01 | コメント(7)| トラックバック(0)

Asia Senior Championships 3

実は今週、九州選手権出場の為福岡に来ています。1ヶ月前の仙台の東日本オープンは10度程度でフリースにベンチコート、そして今週の九州は30度を越えている状態、日本は広いというか結構つらいです。今回は幸運にも単複優勝出来非常にうれしいです。この試合のリポートはまた後で、2009年のアジア選手権の準決勝をレポートします。

準決勝は昨年の決勝の相手オーストラリア人の宿敵Stephen
Whitecross選手。タイも4日目でだんだん暑さにも慣れてきて走れるようになってきた。1stセット、4-1までリードするものの追いつかれて一進一退、彼の強烈フォアハンドのリターンがスローなサーブにあわず結構ポイントがとれた。
タイブレークまでもつれ込み5-6,Stephenのキックサーブでリターンが彼のハイボレーにチャンスボール、これをイージーミス、6-6で僕のスライスショットがネットイン、このラッキーに助けられ1stセット8-6で取る。
2ndセット、攻撃が頭打ちの状態と暑さのため集中が切れそうになるが、ファイナルセット覚悟でペースを落とし、スライスの止まるサーブを多用、これが彼の調子を崩し、4-1、このリードを保ち、辛勝。 結構タフな試合でした。20091214_24
さて翌日の決勝戦、相手はオランダ人のFrank Lapre選手
元ATP80位ということでかなりレヴェルが高い、1stセット相手の様子を見てゆっくりプレーしたが彼のテンポの速いストロークにまったく付いていけず2-6,2ndセットに入り強引にサーブアンドボレーを多用して攻撃的に攻めやっとサービスキープが出来る様になり、2-2相手のミスに助けられたまたまブレークでき、暑さで相手が集中の途切れているところに付け込んで6-2, ファイナルセット、無理に攻められず、かといってベースラインステイするとテンポの速いストロークにやられてしまうというジレンマと戦いながら1ブレーク、自分のサーブも2ndセット以降入りだし1ダウン5-2、さすがにアジアチャンピオンのタイトルがちらつき始め、5-3からの自分のサービスゲームを落とし、あっという間に
5-5、崩れそうになりながら試合なんてこんなもんだと開き直り6-6,このころからFrankもさすが人間、パスが入りずらくなりストロークを安全につなぎ始めタイブレークは一進一退ながら常にリードされ4-5、Frankのサーブ、絶対絶命、僕のスローな逆クロスのフォアのリターンを彼がネット、6-5になり僕のサーブ、1stサーブをネット、2ndサーブ考えに考えて彼の得意なフォアにスロースライスサーブをいれネットダッシュ、彼がリターンをぶっ飛ばしゲームセット。 実は5-4,40-30で同じセカンドサーブでネットダッシュしてリターンエースを食らっていた。やはり少しエースを食らっても攻めなければこういうプレーヤーには勝てないと思いました。ハッピーな決勝後の写真です。20091214_26
次回は須藤選手と組んだダブルスをリポートします。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:33 | コメント(8)| トラックバック(0)

Asia Senior Championships 2

2009年アジア選手権初戦は無事終了、3回戦の相手はインドから来たDeonam Lama選手、インドのケーブルテレビの社長らしく紳士でした、試合は6161で楽勝でしたが毎日少しずつ暑さに慣れてくる感じです。20091214_17
翌日準々決勝はフィンランド人のJuha Vaananen選手、フィンランドではレッドクレーでやってるらしくフォアハンドはグリグリスピン、変な打ち方ながらコンスタント、バックハンドは超スライス、パスは無いだろうとネットを取ったがパスをたくさん抜かれまくりリードされてしまう。5-5でようやく追いつきどうにか1stは7-5、2ndセットもリードされたがどうにか逆転6-3、結構苦しい試合でした。外人は腕っ節が強いので変な体勢からのショットが良く単純な攻めではやっぱり苦労すると実感しました。20091214_20
さてこの夜はディナーパーティー、Siam Bayshore Hotel
の海岸のすぐ脇のところにあるプールサイドを使ってディナー、シンプルなビュッフェですが歌手なども来て結構盛り上がりました、現地の歌手なのでまったく分からない歌でしたが。20091214_19
日本人メンバーの集合写真です。20091214_18
須藤選手、薮田選手、岩見選手とチーム岩見のメンバーそしてタイ在住のねずみ先輩こと須槍選手、彼も一般のときの全日本選手です。
このタイの食事はヨーロッパと違ってパン、乳製品が苦手な僕にとってもグッドです。朝はビュッフェスタイルですが、中華あり、寿司あり、タイ料理ありでおいしいです。昼は大体ホテルの向かいにある屋台で麺類を食べ、夜はまたいろんなレストランがリーズナブルな値段で食べられるという、結構過ごしやすいパタヤです。
では次回結構ハードな試合になった準決勝、決勝をレポートします。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 00:28 | コメント(7)| トラックバック(0)

2009  Asia Senior Championships

4月はメキシコシティーの世界選手権の為お休みしてました。メキシコシティーは標高2200m、いろいろ大変でした。その報告は後にして、現在の世界ランキング17位の大きな要因である昨年11月に行はれた2009年のアジア選手権についてレポートします。

2008年まで暫くの間バンコクでアジア選手権は行はれてましたが2009年は久しぶりにパタヤで開催、
Siam Bayshor Hotelで行はれました。パタヤの中心部のウォーキングストリートの端に位置して最高のロケーション、選手にもいろいろな意味で人気があり、結構トップ戦選手が集まると予想してました。
11月16日東京ヴェテラン選手権が1日延期され昭和の森テニスクラブで決勝を朝行った後、成田空港へ直行、夕方の便でバンコクへ、23時に着いてパタヤまでタクシーで2時間ホテルにチェックインしたのは夜中3時近く、翌日の火曜日11時には第2R,さすがにきついスケデュールでした。この日程よりも日本は秋で15度程度から1日で40度近い南国の赤道直下、特にこの17日は暑い日で結構きつかったです。 予想はしていたものの行ってびっくり僕はランキング17位なのに第4シード、見た瞬間マジかよと思いました。
第1シードはフィンランド人のJoakim Berner選手、ランキング8位、第2シードはオーストラリア人の去年の決勝の相手Stephen Whitecross選手、そして第3シードはオランダ人のFrank Lapre選手、まったく世界中からよく集まったものです。 そんなこと考えている間もなく2R開始、激暑のハードコート、相手は1回戦勝ちあがってきた香港人のWong Chi-Kam選手、ウォームアップが始めてラリーが始まると強烈なストロークを打ちまくられたじたじ、後ろで応援していた日本人の仲間と、やばいよこれ、とか会話してました。そしてとりあえずドキドキしながら試合開始。 始まって見ると、どうしたのこの人、つい3分前まで打ち合っていた相手かと確認したくなるようなつなぎ球のストローク、まあいっかと思いながら、時々カウンターショットはあるものの最大の敵は暑さに変わっていました。しかしこの突然の暑さはさすがに厳しく、頭から湯気が出ているのではないかと思うほどボーとしながらプレーしてました。スコアは
6261とりあえず初日を乗り越えたことで満足でした。20091214_15
ここから結構楽しい意けど長い1週間が始まりました。3回戦以降は次回に
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:40 | コメント(7)| トラックバック(0)

2009 Queensland State Championships 3

2009年のクイーンズランド選手権の決勝戦は7月6日ニュージーランド人のPeter Hampton選手と行いました。彼とは同じドローにはいましたが初対戦でした。 彼は若いころATPツアーを回っていて日本にも何度も遠征してきているということでした。
彼のプレースタイルはとてもコンスタントでとてもではないけど丁寧につないでいては勝てる相手ではないので、スタートからテンポアップしてネット、ネットで奇襲攻撃、朝8時スタートということもあってファーストセット6-3で取りました。 しかしさすがセカンドセットになると叙序に僕のネットプレーに合わせてきてパスが良くなり、2-3から数回のデュースの後ブレークされその後歯止めがきかず2-6で取られました。ファイナルに入っても彼のコンスタントなプレーは狂わず、僕のテニスが落ちていった訳では無いけど2-4とリードされ結局4-5まで追いついたものの押し切られてしまいました。20100316_01
この日差しと青空、そしてオーストラリアの国旗とまさにオーストラリアっぽい写真です。
この決勝やはりPeterはそんなにハードヒットせず攻撃的ではないけれどカウンターが上手いという特徴的なヴェテランの上手いプレーヤーでした。僕のテニスは彼より明らかに足が速くすばやく動いているけれどやはり攻めなくてはパワーを崩せない、もう少し攻撃のヴァリエーションが必要だと感じました。もう少しimaginationを養おう。20100316_02
彼はスキンヘッドだけれど年齢は同い年、クライストチャーチから来ているとのこと。来年2011年の世界選手権はクライストチャーチで行はれるのでいろいろ頼むといっておきました。今年のクイーンズランド選手権は去年までランキングの高い選手が出るのでカテゴリーが2に上がりグレードアップです。
明日から今年の世界選手権団体戦のためメキシコシティーに行ってきます。標高が2000メートル超えているのでどうなることやら。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:05 | コメント(14)| トラックバック(0)

2009 Queensland State Championships 2

2009年クイーンズランド選手権準決勝は7月5日まさにゴールドコーストマラソンの当日、結構サーファーズパラダイスは日本人ばかりでした。 相手は連敗しているステファンホワイトクロス選手、フォア、バックともグリグリのトップスピン、少し弱気になり打点が低くなりディフェンシブになると打ちまくられるのはいつものパターンなので、とにかく伊達選手のようにライジングショットそしてスライス、テンポの速い超リスキーな展開にステファンのショットが微妙にぶれだした隙にネット、ネットでたたみかけファーストセットは6-4で取りました。セカンドセット、少し弱気になりファイナルセットに入ると最悪のニューボール、またトップスピナーの有利になる。とにかくネットを早めに取り相手にストロークを打たせず6-1で押し切りました。結構上手くいった試合の例ですが、やはり外人のパワーに対抗するには少しリスキーな展開に持ち込まなければならないと改めて実感しました。やはり世界のトップで活躍してる伊達選手のライジングショット、そして鈴木貴夫選手のスライスショットなどは日本人のテニスの1つの勝つパターンとして何度もビデオを見て参考にしてます。20091214_05
さてこの日の午後、45才ダブルスが行われました。ペアはキャンベラの友人Ricky Gennge選手。今回は結構行けるかなと思っていたら参加15チーム、これはいいのですが5チームのリーグ戦の後1位のトーナメントという超タフなスケデュール、リックはテニスエルボーがひどくますますタフな展開。オーストラリアの選手のダブルスは日本のシニアよりもとにかく打つ、ハードヒット、日本人のダブルスよりも個人プレー中心です。そんな中僕はいつものようにリックとチームプレー、結構チームプレーが勝つものです。結局リーグ戦は60,63,63そして第1シードに61で1位通過、準決勝はbyeで決勝はAndy Brothers とPaul Thomas組、
このアンディは元デ杯候補選手、結構トップスピンのテニス、ナイトゲームになり本当に暗い照明の中、リックと二人ネット中心の平行陣で相手のショットを封じ63、見事優勝しました。終わったら20時過ぎ、もうレストランを探すのもめんどくさいくらいの時間になってました。
とりあえずリックとの勝利の後の写真です20091214_03
さてニュージーランド人のPeter Hampton選手との決勝戦は次回。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 22:42 | コメント(8)| トラックバック(0)

2009 Queensland State Championships

5月の世界選手権の後の海外は毎年恒例のクイーンズランド州選手権、毎年ゴールドコーストマラソンと重なりかなり日本人のアスリートで混みあってます。 最近ジェットスターがゴールドコースト近くの空港のクーランガッタエアポートに乗り入れ便利になりました。 とは言うものの僕はいつものようにJALでブリスベンに飛びレンタカー。
この試合、冬の割には暖かいゴールドコーストの人気があり年々レベルが高くなりオーストラリアのトップ選手、ニュジーランドのトップ選手なども集まって50歳は特にきついドローでした。 2008年のアジア選手権の決勝で負けたステファン、ホワイトクロス選手が第1シード、QLD州のマイク、フォード選手が第2シード、僕が第3シード、ニュジーランドの元プロのピーター、ハンプトン選手が第4シードとまさにITFランキング通りのリーズナブルなドローでした。
とりあえずベスト4ぐらいは行きたいなと思いつつ1回戦は
BYE。 2回戦はブリスベンのケビン、スミス選手、彼とは何度も対戦してますがなんせ190センチ近くありリーチも広くやりにくい、調子に乗ると強烈なフォアでぶっ放されます。ただ僕のスライスショットが嫌いらしくやりにくそうです。 快晴冬晴れの中、1stセット5-1までリードしたもののちょっと気を抜いた隙に付け込まれ5-4、どうにか10ゲーム目を死守、6-4,6-1で逃げ切りました。20091214_02
3回戦準々決勝はニュジーランド人のスティーブ、ハーリー選手、ウォームアップではボコボコにフォア、バックを打ちまくり強烈なストローク、いつもアップは外人とやりにくい。とりあえず試合が始まると少し揺さぶるとフットワークが悪くミスショットが多発、でも1stセット相手はまだ元気いっぱいでちょっと甘くなったボールを強打されブレーク合戦になってしまい突き放せず4-4、このあたりから余りのサーブの強打に自分の肘がついていかず、テニスエルボーがひどくなってきたらしく一気にペースダウン。この隙にしっかり付け込んで一気に6-4,6-1、やっぱり打ちすぎは良くないです。20091214_04
試合が終われば非常にソフトな温和な人間なのに、あの試合中のアグレッシブさは凄みがあります。慣れないとやりにくいものです。バンクーバーオリンピックを見ていてもあの勝負に対するアグレッシブなところ日本人の気質とは違いますね、良いか悪いかは別として。
そして準決勝は7月5日0勝3敗の第1シード、ステファンホワイトクロス選手。この日はゴールドコーストマラソン当日、試合に行けなくなるとまずいのでサーファーズパラダイスから逃避してコートの近くのブロードビーチのコンドミニアムに移り、さて4度目の正直というところです。
- to be continued -
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:07 | コメント(5)| トラックバック(0)

2009国内トーナメント 2

2009年東北選手権が終わって次の国内試合は全日本ベテラン、去年は9月にサンシャインコーストの試合に出場して調子が悪くなったので今年は八月、九月と海外には行かず国内調整。でも全日本と全日本ローンのドローを見てがっくり、全日本の1回戦は中西選手、ローンは札の辻選手と1回戦から強豪と対戦、気持ちが重くなってきてしまいました。
ということで緊張の中、全日本の1回戦の中西戦、2人でお互いほとんどサーブアンドボレーでまったくラリーの無い試合、いつもの2人のパターン、どうにか競り勝って1回戦突破、2回戦浜田選手、準々決勝は川原選手に勝って準決勝はペアの佐藤明彦選手、僕と対戦するときいつも何故かノリノリで好調の彼、またも快調にて競り負けてしまいベスト4でした。でもその直後のダブルスの準決勝、大浦、清板組との対戦でも絶好調、彼のおかげでストレートで勝てました。
翌日の決勝、佐藤選手は浦田選手に惜しくもファイナルセット負け、その後突然雨が降り出し室内でのダブルス決勝、相手は丸井、伏喜組、ファーストセットは快調な滑り出しで61、しかしさすが一筋縄ではいかない全日本決勝、セカンドセットは14とリードされたがどうにかその後5ゲーム連取して優勝できました。20091214_10

さて11月の佐賀の全日本ローン、この試合簡単に負けてしまううと、ポイントが急降下差するので強烈なプレッシャーの中での試合でした。 1回戦は前出の札の辻選手、緊張しましたがどうにか6463で勝ちました。2回戦は稲田選手に勝ち準々決勝の渡辺選手との11月10日は朝から土砂降り、インドアでの試合となり、オーストラリアンオープンと同じサーフェスのリバウンドエース。渡辺選手のスピンボールとライジングショットにかき回され手が出ず、2645と絶対絶命に追い込まれてしまいました。ここからとにかく大事なポイントを取られ無かったというだけの展開でその後
7564、終わってみたら約4時間の大接戦でした。この試合は勝てましたがこの試合の疲労が指の痛みを誘発して後のアジア選手権まで引きずって大変でした。しかし1回こういう試合をすると人は開き直れて調子が出るものでポイントをリードされても落ち着いて出来る様になるものです。その後翌日からグラスコートに戻り準決勝は海野選手、決勝は藤崎選手に勝って優勝できました。20091214_12
ダブルスは今回世界選手権に一緒に行った土橋選手と組みました。決勝の日シングルス決勝、ダブルス準決勝、そしてダブルス決勝と3試合することになり、普段だったら体力的には問題ないのですが前々日の接戦のせいかどうか決勝の前に突然の指痛に襲われ前半思い通りのプレーが出来ず後半は良くなってきたのですが坂本兄弟組に4646で負けてしまいました。20091214_13

さて2009年最終戦は佐賀から帰ってきた翌日から昭和の森で行われました。天然芝からサンドグラスになかなかタイミングが変えられず苦労します。準決勝戸木選手、決勝は原田選手に勝って優勝しました。20091214_14
この試合、雨で1日順延、決勝は11月16日、朝八王子の昭和の森で決勝したあと家に戻り、夕方成田空港からバンコクに向けて飛行機に乗るという強行スケデュール二なってしまいました。このアジア選手権は後でリポートします。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:20 | コメント(9)| トラックバック(0)

世界選手権 10

世界選手権のリポートも最終回、第2週の個人戦は近くのクラブ3箇所に分かれて行はれました。僕の参加する50歳のドローの数は100、相変わらず厳しいドローでした。1回戦の行はれたクラブはスペインらしいpatioと言われる中庭のある洒落たコートでした。20090518_2920090518_28
1回戦の相手はマドリッドから来たAlvaro Ceballos選手ウォームアップの時はかなり良いストロークを打ってましたが試合になるとまるで別人、よくあるタイプでポイントを失うたび怒鳴ったり、雄たけびをあげてましたがまあ勝手にやってという感じでした。結果は6061、試合が終わるなりレアルマドリッドとバルセロナのサッカーの試合のことばかり語っているサッカー大好きおやじでした。20090518_30
2回戦からタコネーラという海が見下ろせる、風は強いけどすばらしいテニスコートでした。20090518_38
この蛸壺とテニスコートの名前はまったく関係ないとはおもいますが。
さて2回戦の相手は第4シードのアメリカ人のVal Wilder選手。ちょっと前まで世界ランキング1位だった選手、失うものはなく乾いたボコボコのレッドクレー、ファーストセットあまりネットに出ずスローなスライスを切りまくりValがおかしくなり61、でもさすが元世界チャンピオン、セカンドセットからだんだん合い始めたころを見計らってネット多用、最後までけして守らず攻め続けたけどさすが46,36と逆転され金星を逃してしまいました。けして最後まで消極的にはならず攻められたのは僕にとっては収穫、でもValはさすがアメリカナンバー1でした。20090518_31
ダブルスは土橋選手と組んで1回戦はロシアのペア、Vitaly Izotokin, Alexandr Moiseenko組と対戦、スコアは6160、彼らは黒海沿岸のソチから来たそうでシャラポアのジュニア時代はコーチしてたそうです。20090518_34
2回戦はまたアメリカペアのPeter Markes, Ross Personsペア、団体戦からずっと一緒なので一泡吹かせてやろうと思って対戦、でもファーストセットテンダムフォーメーションはしてくるはポーチはしてくるはで36、セカンドセット
リターンストレート打ちまくりでタイブレークにもちこみこのセットを取ってちょっと相手ペア焦りだしファイナルは一進一退、結局1ダウン46、残念でした。20090518_37
このスペインのオフィシャルには日本人の方も協力していていろいろお世話になりました。
20090518_40
20090518_39
やっと2週間約10日の試合が終わりちょっと2,3日レンタカーを借りマジョルカ島を回りました。
まずはラファエルナダル選手の故郷Manacorのカテドラル
20090518_36
マジョルカ島らしい断崖絶壁の海です。20090518_3320090518_32
でもこのレンタカー、日本とかオーストラリアでは返すときは燃料満タン返しは常識ですがスペインは空にして返し残った分は捨てるというシステム、返す時路上に止めて返すなどやはりお国柄いろいろなパターンがあると思いました。
世界選手権はやはり団体戦が花です。来年はメキシコで行はれる予定ですが出来れば参加したいと思います。
今後は次回は国内の試合とオーストラリアのクイーンズランド州選手権の報告です。





海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:36 | コメント(5)| トラックバック(0)

世界選手権 9

今年も11月は全日本グラスコート選手権、東京ベテラン、そしてアジア選手権と転戦、大怪我も無く乗り切りました。
グラスコートも接戦の末シングル優勝、そしてアジア選手権もきついドローでしたが幸運にも優勝できました。これらの報告も近日します。とりあえず世界選手権の続きを

世界選手権団体戦最終戦13位14位決定戦はフィンランドと行いました。26チーム参加なので勝つか負けるか真ん中以上がかかってる対戦でした。
まず僕がJouko Pataja選手と対戦。連戦の疲れかこの日の体調は何故か最悪。相手の選手は思い切りの良いストロークはあるものの、僕の動きが悪い為、攻めては逆襲されパスを抜かれて結局ドロドロの展開でタイブレーク、このタイブレークもリードされ46セットポイント、やっとこれをしのぎ86でファーストセットをもぎ取りセカンドは62、辛くも勝利良かった、土橋選手にプレッシャーをかけないですんだという感じでした。20090518_23
さて土橋選手はHannu Niemisto選手、相手のストロークはかなり良く接戦になりそうでしたが土橋選手の調子が良く
6462とストレートで勝ち消化試合のダブルスも勝ち3-0、2人で良く頑張りました。20090518_27
団体戦が終わりましたが真ん中より上、上位チームは皆各国協会からサポート受けてる国なので自費でサポートが無い国の中では1番じゃないか、と二人で慰めあってる次第でした。なかなか女性のいないこの団体戦、フィンランド戦写真とか協力してくれたスロベニア人の女性と1ショット20090518_26
さてこの後個人戦ですが普通団体戦に出場した選手はミドルサンデーで日曜1日はオフとなるはずなのに日曜の翌日に1回戦、トーナメントディレクターに掛け合ったところ、日本協会からのリクエストが無かったとのこと、選手はわからないから協会が分かっててくれたらねーという感じでした。
さて世界選手権最終回、あまり盛り上がらなかった個人戦、
日本からも個人戦だけ参加のプレーヤーもいて結構賑やかにはなりましたが。では次回報告します。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:04 | コメント(5)| トラックバック(0)

世界選手権 8

10月第3週全日本ベテランが開催され名古屋に遠征してました。結果はシングルスがベスト4、ダブルスは優勝することが出来ました。良かったです。詳しくは写真アップしたあと報告します。

世界選手権団体戦の13-16位決定戦はカナダと対戦。
僕のシングルスの相手はCary Wilson選手、10年前アムステルダムの世界選手権で対戦したことのある選手。結構繊細でそのときは勝ちましたがいろいろもめました。そのときイギリス人で参加していたのですが今回はカナダ、移住したそうです。今回はお互いおやじになっていて和やかムードでした。僕より身体も小さくタッチプレーヤーなので、ネットを強引に取り、ちょっとコートが雨で緩く、イレギュラーバウンドが多いのが幸いし、6261で勝ちました。20090518_21
さて土橋選手、前オープニングセレモニーで僕と写真を取ったイラン人のAbbas Khiltash選手、彼も身体は小さいけど以外にパワフル、でもコンスタントプレーヤー、土橋選手も結構攻めてたけど上手くかわされてしまい4626、残念ながら負けてしまいました。 
ついにダブルスにかかることとなり僕が対戦したCary Willson選手とJean-Pierre Cote選手、外人らしくJean選手はバコバコ打ってくるし、あまりダブルスになってないし本当にやりにくく、ファーストセットは微妙に競り64、セカンドセットでやっと慣れてきて62、勝ちました。これでベスト10には入れなかったけど明日のフィンランド戦に勝てば真ん中より上にいけるのでもう一頑張り。さすがにつかれてきました。20090518_22
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:22 | コメント(6)| トラックバック(0)

世界選手権 7

2009年世界選手権団体戦50歳、Fred Perry Cupは木曜日から順位別トーナメントに入りました。リーグ戦を2勝1敗でまあとりあえずの目標達成で9-16位決定戦になりました。1回戦はオランダ、ドローが出来たときから8カ国のシード国以外で一番強い相手だとわかっていて、ベルギーに負けて2位に来て、1回戦とは。
初戦僕はTon Sie選手、前から良く話す相手で非常に日本人的コンスタントプレーヤー。朝8:30スタートで半分寝ぼけてスタート。最初4ゲームデュースの連続、しかしもう一本取れない最悪の展開。ファースト26、セカンドに入っても競りながら大事なポイントが取れず46、残念でした。20090518_17
あまり背丈も違わないけど、上腕が強くアンツーカーの跳ねるボールをしっかりコントロールされ、なかなか展開を変えられなかった、という感じでした。
第2戦土橋選手の相手は、Frank Lapre選手、去年のアジア選手権の45歳チャンピオン、結構女好きのプレイボーイで遊んでばかりいると思ったら結構な実業家、たいしたものです。小気味良いテニスでガンガン攻めてくるテニスはさすが元ATPランカーで最高位85位。土橋選手、相手がちょっと気が緩んだ隙に攻めていましたが結局36,16でした。
ダブルスはFelix Boerma選手とTon Sie選手、ちょっと気が抜けたせいもあるけど16,46と完敗でした。20090518_18
木曜日の夜はGala Dinner、バスのピックアップで30分
Sa Coma and Beach Clubという他の団体戦が行はれているホテルで開催。ITF役員の挨拶とスピーチ、うるさくて誰も聞いてない中、そのままビュフェスタイルのディナー。
あまり盛り上がりませんでした。そんな中あのアメリカの
MIkeと1ショット、顔の形が、という題です。20090518_20
日本の団体戦参加の女性陣きもので登場、写真は山下千代子選手、彼女は個人戦でもシングルスベスト8に入りました。
一緒に写っているのは、50歳女子世界チャンピオンのオーストラリア、キャンベラのRos Balodis選手、本当に彼女は上手い、派手ではないけどすばらしいです。ミックスで対戦したときは男を狙ったくらいです。20090518_19
ということでディナーも無事終了。明日はカナダと対戦。
どうにか勝ちたいと思います。
前回書いた東北選手権は後で報告します。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:08 | コメント(6)| トラックバック(0)

世界選手権 6

世界選手権団体戦3戦目は4月29日エストニアと対戦しました。エストニアはバルト3国の1つ、3国の中では一番経済もいいと聞いていて、シニアオープンもあるので是非いってみたい国です。バルト3国の女性は世界で一番美しいと言われてますし。
というわけでエストニア戦、初戦は僕がOleg Sevtsuk選手と対戦しました。オーソドックスなベースラインプレーヤーで、丁寧につないでネット勝負というパターン、6161でした。大学の先生ということでよく話すようになりました。20090518_15
土橋選手はMargus Metsanrum選手と対戦、ループスピンでつなぎ、ハードショットもしてくるストーローカーでしたがうまく攻撃して6275、セカンドは競りましたがストレート勝ち、勝利が決まり2位グループに入れてハッピー。
ダブルスはValev Lillipuu選手、Andres Aarelaid選手、あまりダブルスにはなってなく雁行陣で後ろでバコバコストロークを打ち前でリーチの広さにまかせてポーチという訳のわからない展開で非常にやりにくく、75 62と結構競ってしまった。でも皆気さくなおじさん達で是非エストニアには行ってみたいです。20090518_16
さて2位グループには入ったものの、初戦はシード国以外では一番強いと言われていたオランダ、ちょと厳しそうですが
思い切っていけるでしょう。
余談ですがこの団体戦が行われたFont de sa Calaのコート、11面あるのですがラインが何で書かれてると思いますか。フレンチオープンなどでは石灰で毎回書きます、昔は日本のクレーコートでも他のアンツーカーコートでも書いていたようです。でもほとんどは最近はテープです。でもここは石、石灰岩のようなつるつるの石が埋めてあるというものでした。確かに動かないものなので一理ありますが、アンツーカーは削れてくるので、ベースラインなどは盛り上がって結構やりにくく、オンラインはボールも足も滑りました。いろんなものがあるんですね。
次回は強豪オランダとの1戦。その前にこの夏の東北選手権の報告をします。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:48 | コメント(4)| トラックバック(0)

ITF 世界選手権 5

世界選手権団体戦第2戦は四月二十八日第2シード国アメリカと対戦しました。実力的にはナンバー1のアメリカなので思い切って行こうと土橋選手と話し合ってスタート。アメリカチームとは過去1回対戦しています。それがあの2001年9月11日、あのWTCのテロの日でした。オーストリアのサンカンティアン、午前中に試合が終わった後、CNNであの事件を知ったという、記憶に残る対戦でした。それ以来アメリカのメンバーとは交流があり、フレンドリーではあるが一泡吹かせてやろうと思い、トライ、トライの試合でした。
僕の相手はPeter Marks選手、テキサス人、190cmを超えるサウスポー、最悪にやりにくい相手。1stセット,ラリーになればポイントは取れてデュースにはなるけれど、いかんせん超高い打点からの左利きサーブについていけず1-6、セカンドセットの終盤かなり慣れて来たものの時既に遅く4-6、残念でした。あの高い打点からのサーブはいかんせん日本で練習出来ないので悔しいです。20090518_14
土橋選手は元世界ナンバー1のVallis Wilder選手と対戦、彼は大柄な選手の割には超コンスタントプレーヤー、安定したベースラインプレーで60,61、土橋選手は結構攻撃的なプレーで良かったのですがかわされてしまいました。
結局このValとは個人戦で僕が対戦することとなりました。
ダブルスもMichael Fedderly選手、Ross Persons選手組に36,16で敗れてしまいました。残念。20090518_13
中央の選手が仲がいい、パームスプリングスのコーチである
Michael Fedderly選手、ゴルフのハンディ3という事で今度はゴルフで勝負ということになってます。しかし写真でもわかるように、顔の横幅は僕の半分、縦は倍とは大げさですが、それに近くがっくりです。
気分を変えて、明日はエストニアとの対戦、これは是非勝って上位グループに入りたい。
- to be continued -

海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:16 | コメント(9)| トラックバック(0)

ITF 世界選手権 4

世界選手権団体戦50歳Fred Perry Cupは四月二十七日からスタート、初日にスイスと対戦することとなりました。事前にベルギー人の友人Pierreからナンバー1はかなりいけてる選手と聞いていて、かなり接戦覚悟で臨みました。
初戦僕がAmir Bandally選手と対戦、二度ほどスイスに行ってますが初めての選手でした。20090518_10
僕より少し背が小さいけどフォアがグリグリスピンでアンツーカーではやりにくそうな相手でした。あまりベースラインで付き合ってると調子に乗ってくるので早めにネット、ネットという作戦。以外にバックハンドが悪くパスが通らず1stセット61、2ndセットの途中僕のフォアのダウンザラインが縦のオンラインに乗ったのをアウトとコール、ボールマークは完全に乗っていてそのマークを相手も認めているのにアウトと主張。こいつ頭おかしいと確信、ITFのアンパイアを呼び、結果は当たり前のインということでスタート。まったく何考えてるんだか。結局2ndセット61、勝って良かった。
2試合目は初戦のため緊張気味の土橋選手。相手はキャプテンのFrederic Perceval選手。ウェアがちょっと昔ながらの超短い短パンでどんなものかわかりませんでした。が以外にコンスタントプレーヤーで最初は少し競ったものの、結局
63,62で勝利。
消化試合となったダブルスはJuerg Huesler選手と僕が対戦したAmir Bandally選手、結局このJuerg選手がナンバー1ということでしたがこのスイスのダブルスはダブルスのなってなく、勝手に二人がやってるという感じでスコアは
62,61.3-0で初戦勝利。何気に二人でお祭り騒ぎで終わった初日でした。スイスチームと記念撮影。20090518_11
真ん中がキャプテンのFrederic。後で彼とは良く話すようになり、何でナンバー1出さなかったかと聞いたところ、スイス協会がアレンジして、ぜんぜんわからなかったと言っておりました。いろいろ各国事情があるみたいで。
とにかく初戦突破。明日は最強のアメリカ。思い切ってトライできるので楽しみです。
- to be continued -
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 00:55 | コメント(5)| トラックバック(0)

ITF 世界選手権 3

世界選手権の団体戦のイベントは木曜日に開かれるGala Dinnerと初日に行はれるOpening Cocktail Partyです。特に団体戦のOpening Ceremonyは入場行進などもあり皆プレーヤーの顔見せの場で華やかです。今回も土橋選手と日の丸持って記念撮影です。20090518_05
こんな感じで26カ国入場、役員の挨拶他ホテルのパフォーマンスもあり盛り上がりました。ここで前からの知り合いと記念撮影、友達を紹介します。20090518_06
まずこのMr. Beanに似たベルギー人Pierre Godfroid選手、彼は最初に世界選手権に出たときからの知り合いで、一緒にゴルフをしたりする仲間です。前は空軍に務めてましたが、今はプロプレーヤーとして試合を回ってます。世界ランキング1位と2位を行ったりきたり、50歳世界1のサーブアンドボレーヤーで僕の目標とする選手の一人です。’ヨーロッパに来たらセックス以外のことなら何でも協力するぜ’とコメントする陽気な選手です。
20090518_07
彼はカナダの選手ですが元はイラン人、カナダのトロントでテニスコーチをしてますが、あの9.11の事件があった前の日九月十日にオーストリアで対戦していて、その後カナダに帰れなくて大変だったそうです。20090518_08
彼はクロアチアのエースHoppe Zdenko選手、コンピューター関係の技術者で世界ランキング5-6位です。すごく丁寧なテニスで、ゆっくりつないでこちらが攻めるとカウンターすばらしいというまったくやりにくい相手です。ハンガリーで対戦したときボロ負けでした。20090518_09
最後にオーストラリアのエース、Glenn Busby選手、見てのとおり僕と背は変わらないですが、超パワフル、ここ3,4年オーストラリア、また世界でもNo.1で前出のPierr選手と世界1を争ってます。 昔オーストラリアオープンを開催していた有名なメルボルンのテニスクラブ、クーヨンテニスクラブのヘッドコーチです。以前パースで対戦したときは彼の丸太棒みたいな腕から超パワフルストロークで振り回されました。
他アメリカの選手等はまたディナーパーティーのときに紹介します。ということでWelcome Partyも無事に終了、さて次回はスイス戦です。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:16 | コメント(3)| トラックバック(0)

ITF 世界選手権 2

世界選手権団体戦のシステムはシングルス2試合、ダブルス1試合、3ポイントでの団体戦で月曜から木曜まで3もしくは4チームでリーグ戦、そして金、土、日で順位別トーナメントというシステム。通常3人から4人で参加してますが今回我々50歳の日本チームは土橋選手と2人で参加、少しきついけど一週間毎日単複という状態です。それぞれ35歳から55歳までの男女、10試合マヨルカ島全土で行はれ、日本からは45,50,55男子と55歳女子が参加しました。
さて初日前の4月26日キャプテン会議が行はれます。一応ドロー決め会議ですがこれが結構真剣な会議で、日本の様にサポートなし自費で行く国はおおらかですが協会のサポートがある国は順位が大切なのでシード順でよくもめます。今回50歳のFred Perry Cupは10試合中最多の26チーム、結構きつい大会になりそうです。3チームと4チームのリーグ戦になる為第一シードのドイツと第二シードのアメリカのブロックが4チーム、その他のシード国オーストラリア、フランス、英国、スペイン、ベルギー、オーストリアのブロックが3チームという状態です。このシード国以外にもオランダやアルゼンチン、スウェーデンなど結構強い国もあるので3チームのブロックの入りノーシード国が強いと全敗になってしまう可能性もあり4チームブロックで負けると最下位になる可能性もあるというドロー次第のなので結構緊張します。予選リーグがITFのポイントがつくため少しは勝ちたいしといろいろ考えながらいざ抽選。
最後のブロックまで呼ばれず第2シードのアメリカのブロック、しかし他2チームがスイスとエストニアまずまずというところでした。初戦が明日のスイス、上位にいけるかどうかはこの1戦にかかってくると思います。
今回一緒に組無土橋選手とスペイン初練習のあとの記念撮影です。20090518_03
結構水気の多いレッドクレー、このサーフェスに慣れてるヨーロッパ勢とはやりたくないけど、このサーフェスと重いボール、結構大変そうです。
エントリーフィーは120ドル、参加賞のポロシャツ他小物そしてオープニングセレモニー、ディナーパーティーがついてます。日本の試合に比べればやっぱいいかな、という感じでした。20090518_04
ということで明日からきつい一週間になりそうですがこの部屋からの眺めがすばらしく、癒してくれそうです。20090518_12
では次回初戦スイス戦のリポートです。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:33 | コメント(7)| トラックバック(0)

2009 世界選手権 1

国際テニス連盟が主催しているシニアツアーの中で一番大きな大会はこのシニア世界選手権、団体戦と個人戦があり35歳から55歳まで5種目が今年はスペインのマジョルカ島で4月27日から2週間にわたって行はれました。僕が世界の試合に出るきっかけになったのも1998年イギリスのノッティンガムで行はれた世界選手権に日本テニス協会に推薦してもらって出場したのが初めてでした。その後何回か出場しましたが今回2003年のドイツ以来久しぶりの出場で普通のツアーではなかなか会えない各国トップ選手と会えるので楽しみです。今回ブログを始めて以来初めての世界選手権なので試合のシステムなどいろいろ紹介していきたいと思います。今回団体戦は45歳、50歳、55歳の男子と55歳の女子の4チームが参加し個人戦も10名近くエントリーし、久しぶりににぎやかな世界選手権でした。
しかしいくら外国にはゴールデンウイークが無いもののよりによってこの4月の後半から5月の最初という航空券が一番高く取りにくい時期にやってくれるものです。ましてやスペインのマジョルカ島のパルマ空港、直行便はなく良くて1回乗り換え、皆2回、3回乗り換えでした。僕たちはちょっと割高ですが1回乗り換えのJALのロンドン乗換えで行きました。僕とパートナーの土橋選手、同じく女子団体戦出場の山下選手と森山選手夫妻と5人が同行しました。久しぶりに知り合いと一緒のフライト、1人とは違い楽でした。今回ロンドンで一泊、夕方5時に着いて翌日3時までまる1日、僕以外皆ロンドンは初めてだったので、到着後時差ぼけにならない為にも眠い目をこすりながらピカデリーサーカスへ、25年前会社の出張で行った時立ち寄ったインドレストランがまだあり感動しながら夕食はインドカレーでした。翌日も午前中半日利用して強引にウインブルドンに行きました。まだセンターコートは工事中でしたが、博物館も見れなかなか充実したロンドン1日滞在でした。20090518_02
ということで、翌日無事マジョルカ島に到着、25年ぶりのスペイン、久しぶりにスペイン語でもしゃべるか、と思ってもなかなか単語がひらめかない、ブランクが長すぎたようせす。では次回はキャプテン会議を含めて世界選手権団体戦を紹介します。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:57 | コメント(3)| トラックバック(0)

ACT state championship 2009 (3)

2009年のACT Seniorの決勝はシングルスは初対戦の
Colin Holgate選手、ミックスダブルスでは対戦していて彼はRos Balodis選手という50歳の世界チャンピオンと組んでオーストラリアのミックスチャンピオンです。パワフルではないけどコンスタントなテニスで無理せずゆっくり全日本みたいな気持ちで攻めました。やはり打ってくる選手は乗ってくるとこわいですがカウンターでポイントが取れますがコンスタントプレーヤーは攻撃のタイミングとタクティクスが難しく考えさせられます。少し僕のほうがサーブ力とボレー力があったので内容以上の6262という結果でした。念願の海外今期初優勝うれしかったです。20090518_01
このキャンベラのシングルスの決勝戦はいつも主審と線審でジャッジしてくれるので本当に気持ちいいです。日本でも1つぐらいこんな決勝があったら嬉しいですが20090512_08
今回もダブルスは毎年組んでるシドニーのSteve Harris
と組みました。彼は昨年の秋膝の手術をしての参加でコンソレのシングルスで張り切りすぎ準決勝は7576と辛くも勝ちましたが決勝はさすが途中からSteveの上のロブを集中され622626と残念ながら逆転負け、残念でした。20090512_09
しかしこの写真僕の右横のSteve,190cmですが顔小さすぎ
がっくりでした。
ミックスダブルスも例年通り地元キャンベラのJacquiと組
み準決勝仲良しのLucy とTimに576163と競り勝って決勝戦Craig Bullivant選手とYvonne Stanton選手、この女性、背丈は小さいですが元トップジュニアと聞いてましたが、この女性凄かったです、本当に上手かったほとんどライジングというかショートバウンドでハードヒット、それが凄い確率の良さ、すばらしいと思いました。 取ったポイントはもぎ取ったという感じで1636で残念ながら準優勝でした。20090512_10
今回最初はいつものモーテルでしたが最初に紹介したRick
Genge選手の家にお世話になりました。彼はキャンベラ生まれのキャンベラ育ち、キャンベラの典型的な家でした。20090512_12
家も広いですが駐車場も広く最後の日はペアのSteveもキャラバンパークから移ってきて彼の庭の駐車場で寝るという状態でした。
このキャンベラは毎年来ていて最近は最後の日曜日は仲間で5,6人で日本料理に行くというパターンになっていて、
WAGAMAMAという名前の日本料理に行きました。ラーメン、寿司、カツどん、うどん、焼き鳥などとりあえずありますが
ちょっと日本的料理という感じです。そのなかでこの日本にないこのどんぶりはいけました。日本国内でもオッケーだと思います。20090512_07
八宝菜にチキンがタップリという感じでした。
最後に僕の大好きなMt.Aintreeからのキャンベラの眺めです。20090512_13
次回は久しぶりに参加したスペインの世界選手権を紹介します。

海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:40 | コメント(4)| トラックバック(0)

ACT state championship 2009 (2)

今年のACT Championshipsのシングルスのドローは50歳ど55歳のコンバインということで僕のドローを上がってきたのはDavid Graham選手、彼は最近膝を痛めてて一発勝負に来られて戸惑いましたがなんとか6161、しかし一発のフォアはすごかったです。彼は結構世界中の試合でていて世界選手権などでも応援してくれたり結構良くしてくれる先輩です。20090512_03
日曜に準決勝はRod Edward選手、小柄な選手ですがひろいまくる日本人的な選手です。彼とのプレー中テニス始めて以来の初体験、実は履いていた靴が崩壊、底がはがれてサンダル状態、ネットに出て踏み込むと底がひっくり返るのでベースラインで今度は僕が一発勝負のエース狙い、これが功を奏したかどうかはわからないけど6060。でもこんなに試合が早く終わって欲しかった試合はありませんでした。20090512_05
ちなみに靴はこのとおり20090512_06
毎年このキャンベラの試合の時期はEaster Weekendで日本での盆、正月みたいなもので店がまったく開いていなく特に金曜はスーパーマーケットもしまってマックとケンタッキーぐらいしか開いてません、今年もミックスのパートナーに連れられ地元のソシアルクラブに行きました。レストランにカジノそしてスポーツバーと日本にはまったくないとこで特にキャンベラの郊外、まったく東洋人はいなく僕も回りをキョロキョロしてました。
土曜日は地元のWeston Clubでパーティー、3品のコースディナーなのですが面白いことにとなりの席の人と一人ずつ交互に違う料理(たとえばビーフとチキンなど)が出てきて勝手に交換しろという感じでなんともおおらかです。日本だったら皆怒り出しそうです。とにかくワインとダンスとおしゃべり、やっぱり日本の雰囲気とはまったく違います。20090512_04
シングルスの決勝とダブルスの結果は次回に



海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 00:51 | コメント(6)| トラックバック(0)

2009 ACT Seniors 1

今年はシングルス初戦は毎年行っているオーストラリアのキャンベラでのACT SENIORで毎年参加してますが初戦ということで何気にプレッシャーがかかります。めずらしくシドニー経由の便を取りました。シドニーからキャンベラは約1時間、久しぶりにプロペラ機に乗りました。20090512_01
また今年もイースターウィークエンドなのでオーストラリア中皆休暇中でレンタカーの予約も手違いで入っていなく初日から大騒ぎでした。何とか車を借りテニスコートに行って友人のRickに電話すると練習しようという話になり彼の所属クラブのForest Tennis Clubに行きました。このクラブ、オーストラリアの国会議事堂にあたるParliament Houseの裏側の位置した閑静なクラブです。さすが平日の午後ほとんど誰もいなく2人でたっぷりシングルスの練習しました。20090512_02
久しぶりの海外でいつも大変なのはボールに慣れること、サーフェスは適応し易いのですがこのボールの違いがいかんともしがたく時間がかかります。案の定ショートテニスのときからあたりが悪く不愉快この上ない状態でした。ちなみに練習で使ったのはスラセンジャー、試合はATP HEADでした。
今回のシングルスは50歳と55歳のコンバイン第一シードでこの練習したRickyがテニスエルボーでシングルス出てないので比較的やり易いかなという感じです。
- to be continued -

海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:01 | コメント(8)| トラックバック(0)

Asia Senior Championships 3

2008アジア選手権の決勝は11月22日オーストラリア人のStephen Whitecross選手、Sunshine Coastのテニスコーチでストローカーですがヘビースピンでネットプレーヤーの僕は苦手な相手、でも彼は準決勝ゆっくりベースラインでつなぐだけのドイツ人選手にファイナルタイブレークでやっと勝った状態、やはり相性はわからない。ファーストセットネットを取ってもパスの嵐に会い16、セカンドセット押されながらもライジング打ちアンドネット、ネットでタイブレーク、6-5まで行ったが結局6-8、どうも彼とは相性が悪いみたいです。でも彼もオーストラリアNo.5でナショナルチーム選手なので調子が良いようです。20081201_14
なかなかタイらしい風景での試合後の写真です。
20081201_15
プレゼンテーションでのディレクターでお世話のなったMr.Nanaナナちゃんとの写真です。
2008年のアジアシニア選手権はこのナショナルテニスセンターのオープン記念でこの翌日スタジアムコートでエキジビションマッチでマッケンロー対ボルグの試合が行はれました20081201_16
なかなか派手なセレモニーでした。試合はさすが50歳になっても2人ともテニスは健在でマッケンローのすばらしいタッチとパフォーマンス、それに真面目にボルグが合わせるという展開で結局7564でマッケンローが勝ちました。20081201_1720081201_18
やはりこの時代の選手のテニスは我々には見てて楽しく、何故か参考になる魅力的なテニスでした。この後スリチャパンなども参加してダブルスも行はれ盛り上がりました。
僕はこの後11月23日夜中国際空港から帰りましたがその後日本でも報道されたあのデモ隊にこの空港は2日後の占拠され機能停止、2日後に帰国した岩見選手と薮田選手はタッチの差で難を逃れ、この試合の後パタヤに行った70歳クラスに出場した日本人選手は1週間足止めだったということです。
今年はパタヤで11月行はれるということで暑さが苦にならない方は是非。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:25 | コメント(3)| トラックバック(0)

Asian Senior Championships 2

2008年のアジア選手権の50歳シングルスはカチンカチンの硬いハードコートのタイナショナルテニスセンターで行はれました。ハードコートの試合は久しぶりで日本では東京オープンぐらいしかないので。僕は第一シードで1回戦Bye、2回戦はChatthongsuk選手というジモティー、1回戦はしこり勝ってきたと見えたがハードコートでは6060.そしてQFで早速デ杯選手のSunthorn Klahan選手、長い試合覚悟で入り案の定最初にブレークされて2-4までいったが微妙に3年前より試合に出ていないらしく足が落ちてて、走り勝ち逆転しファーストセット6-4、セカンドセットもやはりKlahan選手粘られやっと6-3でした。ここ2年テニスの仕事で北京に行ってたらしく試合に出てないらしくゴルフに夢中ということで今度一緒にやろうという話になりました。20081201_09
さて準決勝はインドの選手をQFで競って破ってきたタイ人のPannopakorn選手、風貌が何とも言いがたいので訳わからなかったのですがかなりしつこく拾ってくる選手でした。
ハードコートだったので攻め続け6260でした。20081201_10
この日の夜テニスセンターでパーティーが行はれ歌手がきて地元の何もわからない歌を歌い、ダンスを踊りかなり派手な演出でした。20081201_12
やはりテニスクラブでパーティーやると参加しやすいですね日本もそうなるといいんですが。一緒に行った須藤選手、岩見選手、薮田選手とお世話になったタイ人の方々とのパーティーの写真です。
20081201_11
では次回は決勝戦とマッケンロー対ボルグのexbition matchのレポートです。


海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:12 | コメント(2)| トラックバック(0)

2008 Asian Senior Championships 1

2008年11月の3連荘の試合の最後はアジア選手権、東京ベテランの翌日月曜スタートでは無理なので何度も火曜スタートをタイ協会にリクエストしても返事が来ないで結局先にタイに行った他の選手に確認してから出発というどたばた劇でした。 結局行ってみたらちゃんと火曜スタート、それなら返事してくれという感じでした。
今回の会場は初めてのバンコク市内でタイ協会の作ったナショナルテニスセンターのこけら落としということで後で紹介しますがマッケンロー対ボルグのエキジビションマッチも行はれ結構派手な演出でしたが参加賞も賞金もない結構寂しいものでした。バンコク郊外のコンベンションセンターの近くですがバブル崩壊のコンドミニアムの廃墟などが点在するような場所でした。2日目からオフィシャルホテルのラマガーデンから近くのホテルの変わり毎日ホテルから歩いてコートに通い屋台で昼食という毎日でした。20081201_13でもこのホテルでシングルユースで6000円ちょっとやはりタイは物価は安いです。
さてシングルスのドローですが微妙なポイント差で僕が第一シード、オーストラリアのサンシャインコーストからきた
Stephen Whitecrossが第二シード、でも僕の下の準々決勝でタイの元デ杯選手Suntorn Klahanがいるではないか。2回アジアの決勝で対戦して一勝一敗結構厳しいトーナメントになりそうです。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:18 | コメント(4)| トラックバック(0)

Sunshine Coast Senior Championships 2

11月になってここ20日間全日本ローン、東京ベテラン、バンコクのアジア選手権と試合続きでした。この結果はまた報告します。特にバンコクは空港閉鎖の2日前に帰国危ないところでした。
さて9月のSunshine Coast Championshipsですがグレード4の大会のわりには準々決勝でTony Scott選手というQueensland州のナショナルランキングを持った選手に当たるというきついドローでした。 オーストラリア人らしいハードヒットタイプでしたが僕のスライスストロークにまったくタイミングがあわず怒り狂ってしまい6261でした。準決勝はStephen Whitecross選手、フォアがグリグリスピンのハードヒッターちょっと苦手なタイプです。ファーストセット一進一退54で40-30のセットポイントで僕のファーストボレーがネットインせず際どく手前に落ち、このポイント取れずにタイブレーク5-7、セカンドに入りボールが重くなり僕のスライスが機能し始めて6-1でとる。ファイナルセット君に有利だからニューボールにしたくないと主張したけどルール通りボールが変わりました。というほど彼とは仲がいいんですが。結局ファイナル3-6でベスト4でした。20081009_04
結局彼は決勝でQueensland州のナンバーワンMike Ford選手に負けてしまいました。
ミックスダブルスはいつもオーストラリアに行った時は世話になっているMiran Kim選手と3年ぶりに組んで優勝しました。彼女とはオーストラリアナショナル選手権のミックスでも準優勝しています。あまり練習していないとは言ってもさすが彼女素質抜群超ハードヒットで相手をねじ伏せてました。20081009_05
というわけで試合のあとはゴールドコーストにあるMiran宅にお世話になりゴルフを楽しんできました。
最後にいつもQueensland州の試合ではトーナメントディレクターを務めてお世話二なっているMs.Gail Bates、とっても明るいのでオーストラリアの試合で見かけたら声をかけてください。20081009_06
次回は秋の国内の試合の結果を
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:51 | コメント(7)| トラックバック(0)

Sunshine Coast Senior Championships

もう全日本も終わり11月の全日本ローンの時期になりました。夏が好きな僕にとって寂しい時期です、今年の全日本はあまり結果良くなかったですが、それはまた報告するとして9月に遠征したSunshine Coast Seniorのレポートです。
通常夏はヨーロッパに行くのですが今年はあまりのサーチャージ他物価高騰で豪州に変えてQueensland州のSunshine
Coastに行くことにしました。Brisbaneから北に約100キロ初めて行くところなのでなんとなくワクワクしてました。 BrisbaneからPacific Highwayを通っていく途中
Ermundiという小さな田舎町でプチ観光、やはりオーストラリアは田舎町がいいです。この写真は日用品の売ってるコンビニエンスストアでガソリンを売ってました。20081009_02
また一年中クリスマス商品だけ売ってる店もありました。この店のなかちょっとお見せできないのが残念です。20081009_01
Sunshine Coastに着いてびっくりしたのはGold Coastはあんなに日本人、東洋人がいっぱいであふれているのにこちらはほとんど白人オーストラリア人ばっかり、東洋系のレストランも少なかったです。僕が泊まったのはNoosa Head
にあるアパートメント、なかなか綺麗で良かったです。20081009_03
試合ですがさすが50歳のオーストラリアは粒ぞろいでオーストラリアランキングトップ5のうち2人が小さな大会でも来ていて第3シードでした。 今回はシングルスとミックスダブルスに出場しました。試合結果は次回に。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:44 | コメント(7)| トラックバック(0)

2008 Queensland State Championships

今年もクイーンズランド州選手権に7月の1週目に参加してきました。 今年は福山の上本選手と一緒に参加したのでダブルスが組めるので楽しみにしていたのですがゴールドコーストの今年の冬は毎日雨、45歳と50歳両方エントリーしていたのに両方キャンセルになってしまい残念でした。というわけでシングルスだけになってしまいましたが50歳はかなりオーストラリアの上位選手が出ていてかなりきついドローでした。 僕が第3シードでその下にキャンベラの決勝で今年負けたRicky Genge選手が入ってました。 とりあえず1,2回戦を勝ち上がり準々決勝でRickyと今年2度目の対決。 キャンベラでは彼の家に招いてくれる仲なのでやり難かったのです。 毎日雨で順延して結局、小雨交じりの夜7時スタートというナイトゲームで2セットマッチという最悪条件下で行はれました。 最初からお互いサーブアンドボレーの応酬で進みファーストセットは6-4、セカンドセットも5-4,6-5とセットゲームがありながらさすが簡単には勝たしてくれずタイブレークまで持ち込まれ5-5からやっと2つ取って7-6(5)という超際どい勝利でした。画像20080807_02
そして準決勝は第1シードのBruce Osborne選手、実は彼1998年イギリスで行われた世界選手権に僕が始めて世界の試合に行ったとき彼とダブルス2回戦で対戦して、彼の紹介でオーストラリアのナショナル選手権に出るようになったという、いろいろお世話になった人です。メルボルンで教頭先生をやっていて今はオーストラリアの50歳の代表チームの監督をやってる人です。今オーストラリアチームは50歳の世界1なので選手層が厚いです。というわけで挑戦者としてサーブアンドボレー、リターンダッシュで攻め続けました。さすがサーブが速くそして重くなかなかチャンスがなかったのですが3-3からの7ゲーム目ワンチャンスをものにして自分はオールキープで6-4、セカンドはますます相手のサーブが良くなり3-6で落としセットオール、ファイナルタイブレークも8-8までしがみついたのですが8-10という悔しい結果になってしまいました。ちょっと残念でしたがあの10年前から比べたらだいぶ食らいついていけるようになってきたので、もう少し攻撃の質とバリエーションを高めないと、と感じていました。画像20080807_03
結局決勝で第4シードのニュジーランダーが勝ちました。
いつもブリスベンでお世話になってるドレーク夫妻宅からの高層ビルからのブリスベンの夕暮れはいかがですか画像20080807_04
P.S. 8月21日発売のテニスマガジンの私の履歴書という記事に僕のテニス始めてからの略歴が掲載されてますので
ちょいと見て下さい
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:15 | コメント(4)| トラックバック(0)

2008 ACT Championships No.3

今年のACT Championshipsは例年のようにEaster weekendに行われましたが特に今年は木曜の夜キャンベラに到着ということでなにも店が開いていないのではないかという心配があったのですが、まさに予想的中でした。クリスマスホリデイとともにイースターは国民の休日で金曜日はスーパーマーケットまで閉まってます。レストランもなかったのですが地元の会員制ソシアルクラブに会員と同伴してもらいそこで食事してました。日本人には馴染みないですが地元の地位ある人々が集まって遊ぶところでレストラン、カジノ、スポーツバーそしてビリヤードなどの施設があります。なかなか外国人では入れないのでいい経験でした。
画像2008041403
土曜の夜はデイナーパーティーでミックスのペアーJacquiとダブルスパートナーSteveとの一枚です画像2008041404
さてシングルスですがQFまでは順調に勝ち上がり準決勝はシドニー在住のMr.Denis Love名字が愛とはなかなかです
フォア一本勝負のプレーヤーで6161で勝ちました。画像2008041405
決勝の相手は去年と同様Ricky,去年は勝ちましたが接戦でした。ところが今年は決勝の日朝から腰の調子が突然悪くなり、サーブがまったく入らなく、リターンはまともにあたらず、ストローク、ボレーも思い通りにコントロールできず
5746で負けてしまいました。過去5年間で最低の試合さすがにショックでその後日本に帰ってもスランプになってしまいました。
画像2008041408
負けた事より内容がショックでした。 やはりオーバーワークはご法度ですね。というわけでミックスも準優勝がっくりでした。
試合は残念でしたが毎年スタッフがみな親切、地味なトーナメントですが今年も楽しかったです。画像2008041410
いつもキャンベラから帰る前Mt. Aintreeという市内が一望に見渡せる山に登るのが好きでもちろん車でですが、キャンベラを訪ねた時は是非。
画像2008041411




海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:06 | コメント(6)| トラックバック(0)

ACT state championship 2008 No.2

2008年のACT Championshipsは3月最終週末のイースターウィークエンドに行われました。今年も3種目エントリーし45歳の男子ダブルスに参加しました。ペアは2年前組んだ
Sydney在住ストリンガーのSteve Harris,190センチの身長。ハードヒッターの彼とコンスタントプレーヤーの僕とでなかなかいいダブルスですが準決勝も466362とやっとファイナル勝ち、彼とは2年前も何度もファイナルセットになっているのに何故か負けないというジンクスは続いているようです。準決勝の後での1ショット
画像2008041402
決勝も3年前も接戦だったRickyとAdrian、結局63
6762きつかったけど優勝しました。やはり外人とのダブルスは難しいでした。彼のリーチはすごいしエースも取れるけどリスキー、僕のスピードではエース取れないからリターンボレーなどの確率で相手を信用させなければダブルスのならないので。画像2008041406
決勝のあとでの写真です。僕の右側がSteve,この背丈そして顔の小ささ、まいりますね、もう少し後ろで取らなければ
男子ダブルスの決勝は1日早く終わったのですが実はこの翌日体調が悪くなりシングルの決勝は大変でした。ではシングルスは次回に    -to be continued-
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:55 | コメント(7)| トラックバック(0)

ACT state championship 2008

3月の後半毎年行っているオーストラリアの首都であるキャンベラで行はれるACT senior openに参加してきました。
通常この試合はEaster Weekend二行はれるので四月の第一週の週末なのですが何故か今年はイースターが2週間早いということで予定か狂いました。
直行便もないのでとりあえずゴールドコーストに立ち寄りました。 どうしても久しぶりにオーストラリアにいくと電話の更新やいろいろな諸事情でゴールドコーストに寄ることになります。 そして今回は中心部に位置してサーファーズパラダイスに程近いQueenspark TCでヘッドプロのジョンに練習してもらいました。今年の日本は結構寒くて毎日厚着してテニスしてたのに急に真夏、熱帯でプレーすることになりさすがに熱いのが好きだけれどきつかったです。1セット過ぎたあたりから段々からだが暑さに慣れてきました。 彼もQueensland State Champ.では40歳で優勝してるだけあってさすがパワフルでいい練習させてもらいました。画像2008041401
3,4日過ごしてCanberraに国内線で移動、空港でレンタカーを借りいつもお世話になってるCrestwood Motorinn
にたどり着きました。毎年No.20を予約しています。3年前シングルルームのあるモーターインを探して半日走り回って見つけたところです。古いですが静かなところです。画像2008041407
今年も3種目、シングル、ダブル、ミックスとエントリーしていて果たして体力がもつかどうか。
Every year, memory in Canberra is full of tennis and nothing more. と大会の役員の人と話してます。
- to be continued -
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:13 | コメント(42)| トラックバック(0)

ヨーロッパ遠征 4

Swiss Lenk International Tournamentの決勝は雨の順延の為準決勝と同日二行われ第2シードのR.Spitzerと対戦しました。彼は55歳背丈も同じくらいですが腕が僕の倍ぐらいありそうな選手でした。とは言っても5歳上だからと思って試合に入ったらファーストサーブを無茶苦茶打たれやっと触るだけ、あっという間にファーストセットをリードされブレークの機会さえなくあっという間に2-6。 こんなことはそう続かないと思いながらも焦りながら、スピードに対抗せずスローにスローに我慢してセカンドセットのキープが続き3オールから1ダウン、このころからサーブは減速しだしスローなスライスに対してミスが目立ち始めた。こうなると西洋人は自分に対して怒りだし大声は上げるはラケットは投げるはボールはたたきつけるは荒れてきたのでさあチャンス。セカンド6-3。こうなったら流れは変えられないファイナルせりながらも2-2からの1ダウンを守り6-4でした。 まあうまく勝ったけどきつい試合でした。画像2007091408
シングルスの決勝の後男子ダブルスの決勝もやることになっていてレンクで一緒だった高橋先生と惜しくも二人で119歳で120歳以上のに出られず若手と対戦することに、といっても僕が一番若いけど。これがまた超close matchになり26,75、66ファイナルタイブレーク8オールまでいき結局8-10で負けてしまって準優勝でした。
画像2007091410
とここまでは良かったのですがこのあとミックスの決勝をやってくれということでちょっと足がやばいかな。僕は一応の目安としてシングルスのゲーム数X2、プラスダブルスゲーム数が100ゲームを超えないと痙攣は大丈夫というのがあるのですがこの時点で34+54+33と予定数オーバー
さすがにやばいと自覚、芍薬甘草湯とアミノバイタルを飲み
試合に入ったがさすがぎりぎりの状態、4-4からもうままよと思いセカンドを考えずにポーチしまくり6-4、そして
セカンドセット、なんと相手の男性が足を痙攣させラッキー
6-0で優勝しました。さすがベテランの試合いろんなこと
画あります。というわけでハッピーエンドのレンク、ちょっと次回は観光案内を。



海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:39 | コメント(4)| トラックバック(0)

ヨーロッパ遠征 3

スイスのレンクというところは山間の町でZweizimmenという小さな町から30分ぐらい、その道は袋小路でアルプスのちょうど裏側にあたるところでさすが山の天気で2日間雨でした。さすが練習をすると標高1000mを超えているので息があがり結構きつかったです。今回のLenk Internatinal Tournamentはカテゴリー4でグレードは低いですがディレクターのWillyがとっても親切でアットホームなトーナメントでした。オフィシャルホテルも数々ありここで合流した仙台の高橋先生とともにBeterbergというホテルに泊まりました。ここからの眺めはアルプスが見渡され最高でした画像2007091405
このホテルはドイツと違いハーフボードなので毎日スイス料理が食べられ落ち着いた1週間でした。といってもホテル以外あまりレストランもないところです。
さて試合は今回は第1シードで1回戦の相手はH.Gloor選手
名前を見て4年前スイスに来たとき試合したことある選手でした。彼は世界選手権のスイス代表になったこともありパワフルではないけれどコンスタントプレーヤー。でもさすがサンドグラスということもあり僕のスライスにまったくタイミングが合わずポイントはせっているものの6161で快勝しました。画像2007091406
勝ち進み準決勝はスイス在勤のブラジル人W.Eisele選手。
サーブが速く何でもネットを取ってくるプレーヤーでしたが
6163で勝ちました。画像2007091407
この後雨の順延のため準決勝と決勝が同日にこなさなくてはならずとても長い一日になりました。ものすごいClose matchになった決勝戦は次回に




海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:03 | コメント(4)| トラックバック(0)

2007 ヨーロッパ遠征 2

Schoenbuch Cup の決勝はドイツ人の世界ランク12位の
Peter Sachse選手で身長190センチ大男でした。サーブもあまり速くなくストロークも丁寧にゆっくり、ちょっとイメージと違うプレーだったがこれが曲者でコートがアンツーカーのため彼のスロードライブが頭の上まで跳ね上がり攻められない。強引にネットに出て行くとさすがトッププレーヤー超高速パス。 くそサンドグラスならスライスでこの攻撃を阻止出来るのと思いながらストロークが浅くなり攻撃され結局1626で完敗でした。 やはりレッドクレーのテニスをもう少し慣れて研究しなければを思いました。 画像2007091403
右がPeter Sachse選手、中央がいろいろお世話になったトーナメントディレクターのErik Flank氏です。賞金80ユーロとワインが賞品でした。どんな小さなクラブでもバーがあり試合の後で皆大騒ぎというのはいいですね。
画像2007091404
このSchoenbuch Cupはあまりインターナショナルではなく
ドイツ人以外イタリア人が数人いただけで本当にドイツばかりデ苦労しました。ホテルもビジネスホテル系で毎日夕食は隣町まで車で行き、VetnamとChineseを交互に食べてました。
さてドイツの試合が終わりスイスに移動。途中カールスルーエからバーデンバーデン、昔ヨーロッパ選手権のときにお世話になったホテルに立ち寄りしばし観光。その後アウトバーンをかっ飛ばしバーセル、ベルンを経由アルプスの裏側ツバイジンメンという小さな町を経由目的地レンクに着いたのは
夕方でした。走行距離600キロ。でもさすが涼しい。
テニスコートに着いてみてびっくり、なんとレッドクレーではなくサンドグラス、ニコッとしながら良い予感がしました。ではスイスレンクインターナショナルトーナメントは
次回で

海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 03:29 | コメント(8)| トラックバック(0)

2007 ヨーロッパ遠征

今年の夏は8月20日から9月の始めまで2週間ドイツとスイスに2試合遠征してきました。2試合ともグレード4の比較的ポイントの低い大会でしたが安全な2カ国なので車で移動できるので選んだ訳です。
1週目の試合はShonbuch Cupという大会でStuutgartの南にあるShonbuchという大きな森に隣接したWeil in Shonbuchという小さな田舎町のクラブでした。
ZurichのKloten Airportでレンタカーを借りてアウトバーンを250キロ走ってホテルのあるHolzgerlingenという小さな町に着いたのは夕暮れの8時。訳のわからぬ田舎町で適当にヤマ勘で曲がった路地に目的のホテルがあり一安心。ドローも2,3日前に出るのでインターネットで見れなかったので翌早朝時差ボケも無視してテニスクラブを探し出し、ようやく落ち着きました。田舎のクラブでしたがきれいなドイツらしいクラブでした。画像2007091401
今回この試合はシングルスだけ出場しました。第2シードで2回戦から中2日ありました。ドローが出るのが2,3日前で航空券取るのが最低2週間前なのでどうしても国内の試合のようにうまく都合がつかないです。ドイツのこのシニアの試合も我々50歳クラスは半分以上はビジネスマンなので2回戦からは金曜の夕方スタートにするなど配慮しているところがいいですね。
2回戦の相手は地元Stuttgartの人でかなりのハードヒッター、あまりテクニックはないけどなにせ1年ぶりのレッドクレー、最初は打ちまくられましたがどうにか6360、
そして準決勝は190センチもあるRolf Stoll選手、サーブ打ちまくられたらやばかったけど前の試合の疲れがあり
6360で勝ちました。実はこの日前日雨の為、一日2試合やらされたのでやっぱり最後は体力でした。画像2007091402
さて明日は決勝です。世界ランク14位のPeter Sachse選手、ちょっときついとは思いますがドイツ初優勝なるでしょうか。





海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:33 | コメント(6)| トラックバック(0)

Queensland State Championships 3

クイーンズランド選手権のダブルスは午前中のシングルスのあと午後に6チームのラウンドロビンと各組トップの決勝戦という形で行われました。 準決勝のシングルスでトニーと試合したあとでした。トニーとははじめての試合でしたが結構日本人的にプレーしてくれだんだんコンビネーションが出来てきました。どうしても外人と組むと彼らはパワフル、そしてリーチが広くきわどい球もカウンターが打てる、そのためチームプレーよりも一人ひとりの個人技主体になってしまい、微妙なプレー中の言葉のニュアンスの問題などもあり結構難しいです。 でも凡ミスなどをあまりしないで確立をあげていくとだんだん配給やポジショニングなどの話に乗ってくるようになり、最後はいいダブルスになりました。やはりダブルスは日本人同士でも外人とでも会話が重要だし難しいですね。 そんなわけでラウンドロビン50ゲーム近くこなし決勝はナイター、僕は目がいいので暗いナイターは得意でどうにか決勝も6-1で勝ちました。トニーの家族も応援に駆けつけてくれ大応援団の中勝って良かったです。
画像2007071105 
最終日に行われたミックスダブルスはキャンベラで知り合ったMs.Robyn Castle と初めて出ました。彼女あまりパワーヒッターではないのですがとにかくミスが少ないので僕のコントロールショットとうまくかみ合い優勝することができました。画像2007071107
このゴールドコーストは日本から行きやすいし、毎年5月のゴールデンウィークにメイトーナメントなども行われているので是非一度トライしてみてはいかがですか。
次回は2006年8月に行ったヨーロッパ遠征をリポートします。

海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:51 | コメント(8)| トラックバック(0)

Queensland State Championships 2

トニーとの準決勝の日は7月1日ゴールドコーストマラソンの当日、ホテルがサーファーズの中心だった為気にしていましたが早めに出発し無事到着、相変わらずの快晴の中始まりました。トニーとはダブルスでは対戦していますがシングルスは初めての対戦、あまり背も違わないけどパワーはすごく上腕は僕の倍ぐらいあるトニー、さすがボールは重く最初押されて返すのがやっとでしたがだんだん慣れてきて僕のスライスストロークが機能し始め4-4からブレークして6-4でファーストセットを取りました。 だんだん彼の展開が淡白になり始めセカンドは6-2、なかなか思い通りの展開でした。
画像2007071104 
さて決勝はブリスベンの北サンシャインコーストでテニスコーチをしているStephen Whitecross選手、彼はQLD州の代表選手でありかなりパワフル。あまりネットプレーはないもののグリグリのトップスピナー、いかにボールを低くコントロールして早い展開にするかが勝負だと思っていました。
実際始まってみるとこのトップスピンが想像以上に高く跳ねボールを押さえ込めなかった。あっというまの1-4、そこからショートバウンド、ライジング打ちでペースを崩し4-4まで追いつくものの大事なポイントが取れず4-6。セカンドも打開できず2-6で負けてしまいました。この高く跳ねるトップスピンをスライスで押さえ込めないとヨーロッパのアンツーカーでは多くは望めないのでまた日本で若者相手に練習したいと思います。でもこのStephenオーストラリア人らしい明るく陽気なプレーヤーでした。画像2007071106
残念ながら準優勝でしたがこのパワーの違いをどうにかごまかせるのはダブルスで今回も頑張りました。では次回に
to be continued
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:22 | コメント(8)| トラックバック(0)

2007 Queensland State Championships 1

関東オープンが終わって1ヶ月元気がなく落ち込んでましたが先月6月29日からゴールドコーストで行われたクイーンズランド州選手権に参加してきました。 
今回ゴールドコーストマラソンと日程が重なっていたためホテルも取りにくかったのでなんとツアーに参加するという初体験の遠征でした。 普段空港に着くとあわててレンタカーの手配とか右往左往してますがなんとピックアップ付き、そしてコアラパークなどに連れて行かれ昼食付き、ホテルに送迎とやはりツアーは至れりつくせりですね。コアラと写真なんか取っちゃいました。画像2007071102
ゴールドコーストは何度も参加している試合なのでレンタカーを借りて試合会場に行ってみると今回は第一シードでした。 翌日2回戦インで相手は185センチの大男でした。
なによりもこの時期の日本はどんより曇り空、一転ゴールドコーストは真っ青な冬晴れ、朝は太陽が眩しくてボールが見えないという感じでした。とりあえず滅茶苦茶サーブは早かったけどそのあとは荒く6160で勝ちました。 とにかく海外に来るとボールの違いや環境で一つめの試合があやりにくい。 2回戦は30日ニュージーランドの温泉で有名なロトルアから来たAlan Russel選手、この人超安定したストローカーで絶対全日本に出れるような日本人タイプのプレーヤー、やはりこういうタイプは慣れていてほとんど毎ゲームデユースになるものの6062で勝ちました。画像2007071103
明日の準決勝は今回ダブルスのペアーであるトニー、キャンベラで知り合ったプレーヤーですが五分五分なのでプレッシャーです
to be continued



海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:37 | コメント(5)| トラックバック(0)

Queensland State Championships 2

2006年のクイーンズランドチャンピオンシップの45歳シングルスは前年よりドローが増えてかなり厳しいドローでした。 1回戦バイの2回戦の相手はニュージーランドから来たばかりというGlenn Skewsというプレーヤーであまりミスのないステデイーな選手で6-4,6-3で苦労してかちました。やはりはじめの試合はどこでも難しいですね。突然の熱帯の暑さにさすがに苦しかった。 どうにかQFもくぐりぬけSFは地元の第4シードKevin Smith選手、オーストラリアテニスらしいフラットのフォアと綺麗なバックハンドスライスの選手でしたがどうも僕のフォアハンドスライスにまったくタイミングが合わず6-2,6-1とうまく勝てました。やはり185センチぐらいの大きなプレーヤーには低いスライスはいやそうでした。 そして決勝はMike Ford選手、オーストラリア45歳のナンバー1でかなりきつい試合は覚悟の上でした。 案の定ファーストセットは彼のサービスゲームはあっさりキープされ僕のサービスゲームは毎回40-40からやっとキープといういつものパターン。一時間以上かかりタイブレーク、2-5から逆転ファーストセットを取る。しかしここからさすがトップ選手、セカンドセット、ファイナルセットとどうしてもブレークが出来ず専攻され4-6,4-6と金星を逃してしまいました。 やはり
パワー負け、自分ではかなりギャンブルしたつもりですが
あとひとつというところが外人は日本人よりも勝負してくるところが強い。またオフェンスのバリエーションを高めて
再挑戦です。Mike との1ショットです画像2007032903
今年もこのクイーンズランド選手権は6月の28日からゴールドコーストで行われます 興味のある方はいかがですか


海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:28 | コメント(7)| トラックバック(1)

Queensland State Championships

2006年のクイーンズランド州選手権は6月30日からゴールドコーストのマイアミベテランテニスクラブを中心に行われました。 ゴールドコーストはこの時期冬ですがさすが熱帯地帯だけあってテニスにはちょうど心地良い気候です。
実は僕はこのテニスクラブの会員でサンドグラスコートが
12面あります。 そのすぐ隣にマイアミグラスという10
面のコートがあるテニスクラブがあり、この2クラブを主にトーナメントが行われます。 
画像2007032901

画像2007032904シングルスはITFの公式試合なのでトーナメント方式で毎日午前中に行われますが、ダブルスは毎日午後に各年齢ごとラウンドロビン方式で行わ
ちょっと草トーナメント的で皆参加しやすい方式です。
今回のダブルスのパートナーはJeff Brownというこのクラブのプレーヤーで前年一回戦で対戦したプレーヤーでした。
この彼話していると何故か英語が聞きやすいなあと思って聞いてみるとやはりアメリカ人、やはり日本で教わってきたのはアメリカンイングリッシュでした。
結果は2位、順調に勝って行きましたが50歳の豪州ナンバー1のMax Bates選手と45歳のトップ選手のMIke Ford
選手にはさすが負けてしまいました。 
このように海外の試合はシングルスはマジでダブルスは気楽にというパターンが多いですね。ということでJeffとの一枚です画像2007032902


海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:56 | コメント(3)| トラックバック(0)

ACT state championship 3

ACT Championshipsの男子ダブルスはシドニーから来たストリンガーのSteve Harisという190センチの大男と組みました。あまりのリーチの広さとパワーの傍ら無理な球も打ってミス多発という外人特有のペアでした。 最初は難しかったですが徐々に僕のダブルスのconsistencyを納得してくれ話が出来るようになって来ました。ミックスよりも男子ダブルスはチームプレーですから。 準決勝で第2シードに61・35・75でしたが3セット目3-5、相手の40-30マッチポイントをしのいでの勝利でした。決勝も第1シードに36・61・61とファイナル勝ち運よく優勝しました。僕以外3人のパワーに対抗して日本でのダブルス以上にボールを遅くして自分のフットワークを生かしたのが成功でした。 Steveとの1ショット画像2007020503
ミックスダブルスもMrs. Jacqui Marsdenというキャンベラ地元の防衛省で働く女性と組みました。外国のミックスはどこまでマジにやるかというところは雰囲気で決めていますが相手もかなりだったので一生懸命やることになりました。
準決勝第2シードに46・64・64そして決勝でも62・
67・63と接戦をものにしてラッキーにも優勝。
Jacquiとの1ショット画像2007022102
それにしても3種目優勝出きるなんて一生に一度あるかないかで自分でも余韻に浸っているキャンベラの夜でした。
しかし準決勝の日シングル14、男子ダブルス28、ミックス30ゲームをこなし痙攣も来なかったので今後の自信になりました。しかしこの72ゲーム終わったのは朝からずっとコートにいて6時過ぎ、運が悪いことにイースターでレストランが全部閉まっていてまたおおさわがぎ、やっと1時間ぐらい探してヌードルショップを見つけるという大変な1日でした。 
しかしこのキャンベラ、ほとんど日本人や東洋人と会わず観光客もあまりいませんでした。 おかげで一週間で英語はみるみる上達、帰るころは結構しゃべってました。また日本に1ヶ月もいれば元に戻るけど。今年も行く予定なので楽しみなような楽しくないような微妙な気持ちです。
この3種目制覇に記念の写真です画像2007022101


海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 11:52 | コメント(6)| トラックバック(1)

ACT state championship 2

35-45のシングルスは僕は2回戦からで1回戦を楽勝して上がってきたLyton Josephという35歳なりたてのメルボルンのコーチだした。フォアもバックもグリグリのトップスピナーでした。ハードやアンツーカーだとまずいですが幸い日本でなじみのサンドグラスコートなのであまりボールが弾まないためスライスの緩いストロークで深い浅いでアクセントをつけるというパワーヒッター向け外人対策。 これが功を奏して6162でストレート勝ちでした。画像2007020502 

準決勝までほとんど35歳のパワーヒッターと対戦しこの作戦が成功しました。 ボールをいったん弾ませてしまうと上腕の強い外人にハードヒットされ振り回されるパターンで何度も海外でひどい目にあっています。 いったんラリーになれば走り勝てるので振り回されても低く、攻めるときも低くというのが日本人には向いていると思います。
そして決勝戦、前回のオーストラリアナショナルでニュージーランドでダブルスを組んだVladimir Ejovと対戦することになりました。キャンべラであったとき、出てるなら知らせろよ、というよく日本である会話で始まったのですがまさか決勝で当たるとは。 
彼は185センチの身長を生かしたハードヒットのフォアと両手バックのストローカーというロシア人らしいパターンでパスもうまく手ごわい相手でした。 ベースラインでつないでいるとエースを取られてしまうので危険を犯してサーブアンドボレーそして早めのネットプレー勝負という作戦でスタート。 押されながらも5-5までいったが大事なところで1ブレークされ5-7でファーストダウン。 しょうがないいのでセカンドのスタートからスローダウンしてみたがぜんぜん展開は変わらず2ダウンの2-5、観客のぞろぞろほかのコートに移りだしこりゃもうやばいかなという雰囲気でした、自分も。そして相手のサーブの40-30マッチポイント、そこで彼が何故か今までほとんどしなかったサーブアンドボレー、そしてファーストボレーミスで40-40. このとき何故か相手の焦っているのを見て急に気持ちが落ち着き始めこのまま大事につないでみたら面白いかも、という気持ちになりました。特に逆転するとか特別な気持ちはなく非常に平静な気持ちでした。その後このゲーム2回マッチポイントをしのぎブレーク、それから彼のプレーパターンが不思議なくらい変わりセカンドセット5ゲーム連取で逆転で
7-5.ファイナルセットは再びサーブアンドボレーで攻めつずけて6-3で逆転してしまいました。終わった後はさすが知り合いということもありバッドラックとしか言えませんでした。しかしテニスというものはこういう逆転が可能なので怖いですね、本当に。では優勝したときのVladとの1ショットです。to be continued
画像2007020504
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:26 | コメント(7)| トラックバック(0)

ACT state championship

2006年4月の第2週オーストラリアのキャンベラで行われた
ACT州選手権に参加しました。 グレード3というあまりメジャーな大会ではないのですがこの時期世界選手権の団体戦が南アフリカで行われていたのでナショナルチームのメンバーが参加していないのではないかと思い参加してみました。
キャンベラは初めての場所で観光地でもないのであまりホテルや交通機関などの情報が少なく、日本国内でレンタカーの予約を入れてみると1日A$60とか滅茶苦茶高いこと言われたのでもうこれは現地調達と決め込んで航空券だけでホテルもなにも予約せずキャンベラの空港に着きました。 
さてレンタカーですがやはり現地では1日$35でもくろみ通り借りることができ地図片手にトーナメントの会場Weston
Creek TC を探し当てさて一段落。以外に田舎のクラブで質素そのもの向かいにマクドナルドがあってよかったという感じでした。スポンサーでもあるこの町のメンバーシップのソシアルクラブの紹介でホテルを紹介してもらいやっとおちつきましたがその夜真夜中でもコーランを読んでいたり歌を歌ったりしている人々がいるホテルであまり落ち着かないので翌日3~4時間かけてキャンベラ中走り回りやっとシングルルームのあるモーテルをみつけそこに落ち着きました。
とりあえずシングルスは第3シードで35歳40歳45歳のコンバインで35歳と試合するのでちょっときついかなという感じでした。 ITFの試合は8ドロー以下ではポイントがつかないため前後の世代をコンバインしてドロー数を増やすということがあるのです。
to be continued画像2007020501
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:50 | コメント(12)| トラックバック(0)

2006 Australian Nationals 3

2006年のオーストラリア選手権のミックスダブルスは日本にいるときからの知り合いでもある金美蘭というオーストラリア在住の韓国人と組みました。彼女とは何度も一緒に組んでいるので安心ですが準決勝でMrs.Ros Balodisという45歳オーストラリアNo.1世界No.1の女性のペアにまけてしまいました。 この女性2年前の世界選手権で日本のNo.1小泉
幸枝選手も敗れてしまった選手で派手ではないのですがとにかくタッチが最高でさすがミックスでも彼女をさけて男性に打ってしまうほどです。 さすがそのペアが優勝しました。
このクライストチャーチで今年の11月にスーパーシニア、60歳以上の世界選手権が行われます。天候は激しいですが安全でおっとりしたニュージーランドの試合に参加してみてはいかがですか。問い合わせは日本協会へどうぞ。
試合の合間にはよくアフタヌーンでゴルフに行くのですが結構地元のパブリックコースが好きでメンバーの名門コースよりも現地の特徴があって面白いですよ。クライストチャーチはすごくイギリス的でゴルフ場もフェアウエイが交差してるホールなど超英国的なリンクス風のコースが多かったです。
あまり観光はしないのですが試合後余裕があったためニュージーランド南島の最南端のクイーンズタウンまで500キロ安い今にも止まりそうなレンタカーのカローラで走破しました。 かなり南極に近く印象的な湖のほとりの町でした。
帰りもクライストチャーチ朝6時という飛行機に合わせるため夜10時クイーンズタウン発夜道を逆行し5時間で戻るという強行スケジュールをこなし無事フライトに間に合いました。しかし以外にニュージーランドにはオーストラリアと違い24時間のガソリンスタンドが少ないのでやばかったす。皆さんも気をつけて。
つぎは2006年4月のキャンベラで行われたACTオープンの参戦記を
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:19 | コメント(6)| トラックバック(0)

Australian Nationals 2

2006年のクライストチャーチで行われたオーストラリア選手権では僕は単複混合と三種目出ることができました。日本の試合はだいたいエントリーフィーが10000円前後ですがこのオーストラリアの試合は$40,二種目で$60,三種目で80$とかなり安いです。 内容はいたって質素で優勝準優勝に賞金が出ますがあとメダルがあるぐらいです。
さてシングルスですがとりあえず勝ち上がり準々決勝で3シードのDavid Mustardというニュージーランドの元デ杯選手と対戦しました。 試合前に日本選手誰か知っているかと尋ねたところ Fukui,Nishioとか言ってたので成る程でした。 左利きのグリグリドライブのストローカー尚且つハードコートという最悪の条件でしたが外人対策のライジング打ちストローク、スロースライスとスライスサーブアンドボレーがうまく機能してファーストセット4-4からブレークして6-4ここまでは予定通り以上だったのです。 ところが突然天候が急転、立っていられないぐらいの突風しかも横風が吹き始め展開が一転。 雨が降ってれば試合止められたけど。 やはり突風が吹けばさすがドライブ強しでベースラインでしこられ1-6,2-6と金星を逃してしまいました。日本でやってたら神風というところですがさすがそこはニュージーランド、やられました。そして午後になりダブルスの時間にはもとの青空が戻ってました。
メンズダブルスは今回オーストラリアのアデレイド在住の
Vladimir Ejovというロシア人と組みました。なかなかシングルスは強いのですがあまりネットプレーが得意でないのでダブルスは大変でした。 それでもとりあえず準決勝までは到達しベスト4で終了しました。 日本のベテランのダブルスのレベルは高いと思うしやはりチームプレーとしてのダブルスは日本人のほうが組みやすいですね。
to be continued
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:55 | コメント(5)| トラックバック(0)

2006Australian natinals

毎年一月の第2週はオーストラリアのナショナル選手権に参加しています。 今年も今日からパースで行われているのですが諸事情により参加しませんでした。 この試合はシニアツアーのアジアオセアニア地区では唯一のグレード1の大会でオーストラリア各地を回っていますが2005年は史上初めてニュージーランドと共同開催になりニュージーランド南島のクライストチャーチで行われました。 僕にとってニュージーランドは思い出の国、2001年のニュージーランドナショナル選手権でナショナル選手権初タイトル、全日本より先に取った所です。前回のオークランドとは違いクライストチャーチは風が強く一月だというのに結構寒くセーターが必要なほどでした。 初めての土地でしたがオーストラリア人の友達の伝手でクライストチャーチの市内にアパートメントを借りることができて安いレンタカーも手配できました。海外遠征のとき航空券の手配も大変ですがこの現地での移動手段と宿泊の手配が一番の問題です。オフィシャルホテルがしっかりしているトーナメントは楽ですがあまり明確ではないところもあるのでこのクライストチャーチは大変でした。
シングルのドローは僕は5-8シードでした。 ランキング的には3-4シードですがそこは外国国内ランキングも絡んでくるのでだいたい8シードです。 
このオーストラリアナショナルはこのトーナメントの結果を参考にして世界選手権のナショナルチームが決定するため我々外国人はちょっとやりにくいのです。もしシードを食ってしまうとナショナルチームが少しくずれてしまうので。
という線で8シードが妥当な所です。
to be continued
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:21 | コメント(7)| トラックバック(0)

2006Australian natinals

毎年一月の第2週はオーストラリアのナショナル選手権に参加しています。 今年も今日からパースで行われているのですが諸事情により参加しませんでした。 この試合はシニアツアーのアジアオセアニア地区では唯一のグレード1の大会でオーストラリア各地を回っていますが2005年は史上初めてニュージーランドと共同開催になりニュージーランド南島のクライストチャーチで行われました。 僕にとってニュージーランドは思い出の国、2001年のニュージーランドナショナル選手権でナショナル選手権初タイトル、全日本より先に取った所です。前回のオークランドとは違いクライストチャーチは風が強く一月だというのに結構寒くセーターが必要なほどでした。 初めての土地でしたがオーストラリア人の友達の伝手でクライストチャーチの市内にアパートメントを借りることができて安いレンタカーも手配できました。海外遠征のとき航空券の手配も大変ですがこの現地での移動手段と宿泊の手配が一番の問題です。オフィシャルホテルがしっかりしているトーナメントは楽ですがあまり明確ではないところもあるのでこのクライストチャーチは大変でした。
シングルのドローは僕は5-8シードでした。 ランキング的には3-4シードですがそこは外国国内ランキングも絡んでくるのでだいたい8シードです。 
このオーストラリアナショナルはこのトーナメントの結果を参考にして世界選手権のナショナルチームが決定するため我々外国人はちょっとやりにくいのです。もしシードを食ってしまうとナショナルチームが少しくずれてしまうので。
という線で8シードが妥当な所です。
to be continued
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:21 | コメント(6)| トラックバック(0)

2006Australian natinals

毎年一月の第2週はオーストラリアのナショナル選手権に参加しています。 今年も今日からパースで行われているのですが諸事情により参加しませんでした。 この試合はシニアツアーのアジアオセアニア地区では唯一のグレード1の大会でオーストラリア各地を回っていますが2005年は史上初めてニュージーランドと共同開催になりニュージーランド南島のクライストチャーチで行われました。 僕にとってニュージーランドは思い出の国、2001年のニュージーランドナショナル選手権でナショナル選手権初タイトル、全日本より先に取った所です。前回のオークランドとは違いクライストチャーチは風が強く一月だというのに結構寒くセーターが必要なほどでした。 初めての土地でしたがオーストラリア人の友達の伝手でクライストチャーチの市内にアパートメントを借りることができて安いレンタカーも手配できました。海外遠征のとき航空券の手配も大変ですがこの現地での移動手段と宿泊の手配が一番の問題です。オフィシャルホテルがしっかりしているトーナメントは楽ですがあまり明確ではないところもあるのでこのクライストチャーチは大変でした。
シングルのドローは僕は5-8シードでした。 ランキング的には3-4シードですがそこは外国国内ランキングも絡んでくるのでだいたい8シードです。 
このオーストラリアナショナルはこのトーナメントの結果を参考にして世界選手権のナショナルチームが決定するため我々外国人はちょっとやりにくいのです。もしシードを食ってしまうとナショナルチームが少しくずれてしまうので。
という線で8シードが妥当な所です。
to be continued
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 02:21 | コメント(11)| トラックバック(0)

ITFシニアサーキット

ITFシニアサーキットのシステムは前回説明しましたがこれらの試合の頂点である大会はシニア世界選手権です。この大会は唯一ITFが主催する大会で毎年世界各国持ち回りで行われます。 昨年は南アフリカのダーバン、そして今年はトルコのアンタリアで四月に行われる予定です。 試合は2週間で第い1週が団体戦、そして2週目が個人戦です。個人戦は
普通のトーナメント形式ですが団体戦はシニアのデ杯のようなもので2シングルス1ダブルスでリーグ戦の後順位別トーナメントという形です。 この代表選手は日本テニス協会の派遣選手で殺伐とした個人戦とは少々異なり皆勝負にはシビアですがアフターテニスはウエルカムカクテルパーテイー、
デイナーパーテイーなどとてもフレンドリーで世界中に友人が出来て楽しい試合です。 さすが試合のほうはアメリカは
パトロンがサポートで参加してるし、イギリスは日当制など各国気合をいれて団体戦を勝ちにきているのでシード国を破るのは大変です。  過去最高は2003年のドイツ大会去年の50歳の全日本チャンピオンの小川敏さんと組んで9位に入ったのが最高です。 個人戦では1999年アムステルダムでベスト8が最高です。 この話はまた後で書きます。
今年もトルコで4月行われますのでちょっと興味を持ってもらえればと思います。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:36 | コメント(6)| トラックバック(0)

ITFシニアサーキット

僕が参加しているITF主催のシニアサーキットの話をします。 この試合は日本のシニアの試合と同様男子は35歳から5歳刻みで85歳まで女子は日本と違い35歳から85歳までというカテゴリーで世界各国で100以上の試合が行われています。 アジアではアジア選手権がタイでそのほかインドとパキスタンで行われていますが残念ながら日本ではありません。これらの試合の頂点が毎年行われている世界選手権でカテゴリーA, これからカテゴリー1から4までに分かれており、カテゴリー1はヨーロッパ選手権、オーストラリア選手権、USハードコート選手権などです。アジア選手権はカテゴリー2です。3,4の試合はちょっとマイナーな国のナショナル選手権やスポンサートーナメントです。グレードが低くても意外に賞金が高い試合もあります。 
これらの試合はすべてITFのコンピューターで管理されており54週間のベスト5大会の合計点でランキングが決まります。日本のベテランポイントもこのシステムに合わせたもので当初はベスト2大会でした。 このパターンは我々日本人、アジア人にとってはまったく不利なものであり、欧州人にとっては近隣の国でたくさん試合があり、米国人、豪州人にとっては国内で5-6試合参加できるという点です。というわけで若い世代でほとんどトップ50に入っているアジア人は2-3人です。 ランキングにはいるのは大変ですが日本の試合とは違う雰囲気、またおおらかさで結構楽しい時間を過ごせることでスポット的に参加してみると楽しいです。
海外遠征 | 投稿者 廣岡孝通 01:31 | コメント(5)| トラックバック(0)