2010年10月31日
世界選手権団体戦 4
2010年世界選手権団体戦グループリーグのシード国イギリスとの対戦は3月30日行はれました。朝練習の後記念撮影、天気も良好でも標高とボールが課題

まず僕がシングルス、Allec Allen選手と対戦。前日のスロバキア戦の選手と同じようなストローカー、まだ標高に会わず改善する気配は無く真ん中にボールを置きに行く展開。最初ブレークされ1-3、相手のストロークにもミスが目立ち5-5、ただ前日とは違いほとんど五分五分、ボールとの距離感が合わず、追い込まれたボールは返せるがチャンスボールへのアクセスがつかめずチャンスミスしてぶちきれ寸前の状態が続く、5-5からブレークされてしまい5-7でファーストダウン。もう開き直ってセカンドスタート、やけっぱちの展開ながら相手のミスも手伝って4-4、相手も不快なのだと感じながらも自分のショットがコントロール出来ず、大事なポイントでコンセントレーションが切れてしまい4-6、悔しい敗戦でした。

土橋選手はイギリスのNo.1、 Stephen Alger選手と対戦、この選手190センチ近いサウスポー、僕が始めて1998年にイギリスのノッティンガムの世界選手権に参加した時に対戦した元イギリス領バミューダのオリンピック選手、ビッグサーバーでかなり手ごわい。ファーストセットは打ちまくられ1-6、セカンドセットの半ばからネットに出てプレッシャーをかけミスを誘い惜しくも4-6。残念ながら2敗してしまった。
ダブルスはMartin Guntrip選手、Rainer Friemel選手ペア、ガンガン打ってくるものの廣岡土橋組ダブルスの戦略が機能して6364でストレート勝ちしました。こうなるとシングルス1つ取りたかった。

まず僕がシングルス、Allec Allen選手と対戦。前日のスロバキア戦の選手と同じようなストローカー、まだ標高に会わず改善する気配は無く真ん中にボールを置きに行く展開。最初ブレークされ1-3、相手のストロークにもミスが目立ち5-5、ただ前日とは違いほとんど五分五分、ボールとの距離感が合わず、追い込まれたボールは返せるがチャンスボールへのアクセスがつかめずチャンスミスしてぶちきれ寸前の状態が続く、5-5からブレークされてしまい5-7でファーストダウン。もう開き直ってセカンドスタート、やけっぱちの展開ながら相手のミスも手伝って4-4、相手も不快なのだと感じながらも自分のショットがコントロール出来ず、大事なポイントでコンセントレーションが切れてしまい4-6、悔しい敗戦でした。

土橋選手はイギリスのNo.1、 Stephen Alger選手と対戦、この選手190センチ近いサウスポー、僕が始めて1998年にイギリスのノッティンガムの世界選手権に参加した時に対戦した元イギリス領バミューダのオリンピック選手、ビッグサーバーでかなり手ごわい。ファーストセットは打ちまくられ1-6、セカンドセットの半ばからネットに出てプレッシャーをかけミスを誘い惜しくも4-6。残念ながら2敗してしまった。
ダブルスはMartin Guntrip選手、Rainer Friemel選手ペア、ガンガン打ってくるものの廣岡土橋組ダブルスの戦略が機能して6364でストレート勝ちしました。こうなるとシングルス1つ取りたかった。

2010年10月07日
2010世界選手権団体戦
世界選手権団体戦リーグ戦初戦は3月29日メキシコシティーのClub Aleman de Mexicoでスロベニアと対戦しました。 リーグ戦は3チーム、日本、イギリス、スロベニア、
イギリスはシード国なので初戦に勝たなければというプレッシャーの中僕がNo.2シングルス、Matjaz Frece選手と対戦しました。 標高2000メートル、メキシコに着いて3日目ようやく息が切れなくなったものボールのはね方は全くフィットせず相手は190センチのアンツーカー育ちのストローカー。ベースラインへのボールが30センチ飛ぶのは調整できるが、手元の1-2センチの誤差がどうしても調整できないのでほとんどミート出来ないため距離、方向性がことごとくぶれる、ましてボールのエアはパンパン、こういう状況ではあまり狙わず真ん中にスピンで入れる、そういうテニスが有効、そんなテニスの相手だった。僕のようなスライスのライジング打ちには全く不利なのでとにかくネット、ネット、
サーブアンドボレー、リターンアンドネットという短期決戦で勝負という作戦。
ファーストセット出だしのゲームをブレークして31、41になるポイントがあったが取りきれず展開がもつれ始め43になるころにはダブルフォールとも多発、だんだんパニックになっていく。5-5から強引に真ん中に打ってネットに出てフレームでもいいからボレーをねじ込むというどうしようもないパターンでポイントをもぎ取り75。セカンドセットに入り相手が入りだし、ことごとく毎ゲームリードするものの大事なポイントで相手の奇跡的スーパーショットでしのがれブレークできず33、44,55、11ゲーム数回のジュースのあとブレーク、12ゲームも15-40なりながらやっとキープし75。ストレスばかりが残るマッチ。今後どうなることやら


上の写真が朝の集合写真、下の写真が僕のシングルスの相手
Matjaz Frece選手。
No.1シングルスは土橋選手がスロベニアのGiuliano Nemarnik選手、写真の左側、と対戦、サウスポーのハードヒッターだったが上手く処理してストレート勝ち、これで勝利決定。 ダブルスはマネージャーの井上選手に出てもらいました。この試合は落としたものの2-1で勝利して翌日のイギリス戦が勝負です。
イギリスはシード国なので初戦に勝たなければというプレッシャーの中僕がNo.2シングルス、Matjaz Frece選手と対戦しました。 標高2000メートル、メキシコに着いて3日目ようやく息が切れなくなったものボールのはね方は全くフィットせず相手は190センチのアンツーカー育ちのストローカー。ベースラインへのボールが30センチ飛ぶのは調整できるが、手元の1-2センチの誤差がどうしても調整できないのでほとんどミート出来ないため距離、方向性がことごとくぶれる、ましてボールのエアはパンパン、こういう状況ではあまり狙わず真ん中にスピンで入れる、そういうテニスが有効、そんなテニスの相手だった。僕のようなスライスのライジング打ちには全く不利なのでとにかくネット、ネット、
サーブアンドボレー、リターンアンドネットという短期決戦で勝負という作戦。
ファーストセット出だしのゲームをブレークして31、41になるポイントがあったが取りきれず展開がもつれ始め43になるころにはダブルフォールとも多発、だんだんパニックになっていく。5-5から強引に真ん中に打ってネットに出てフレームでもいいからボレーをねじ込むというどうしようもないパターンでポイントをもぎ取り75。セカンドセットに入り相手が入りだし、ことごとく毎ゲームリードするものの大事なポイントで相手の奇跡的スーパーショットでしのがれブレークできず33、44,55、11ゲーム数回のジュースのあとブレーク、12ゲームも15-40なりながらやっとキープし75。ストレスばかりが残るマッチ。今後どうなることやら


上の写真が朝の集合写真、下の写真が僕のシングルスの相手
Matjaz Frece選手。
No.1シングルスは土橋選手がスロベニアのGiuliano Nemarnik選手、写真の左側、と対戦、サウスポーのハードヒッターだったが上手く処理してストレート勝ち、これで勝利決定。 ダブルスはマネージャーの井上選手に出てもらいました。この試合は落としたものの2-1で勝利して翌日のイギリス戦が勝負です。