2011年03月18日
緊急報告 2011世界選手権ニュジーランド 2
クライストチャーチの地震のレポートの途中で先週あの大地震、それぞれ大変な思いをしたと思いますが僕はまたオンコートでした。屋外にいてまた東京都内だったのであまり恐怖の体験はしませんでしたが被災した方の恐怖は察するところで今後の頑張りを切に願ってます。
レポートを続けます。テニスコートを出発できたのは午後6時過ぎ、滅茶苦茶渋滞の中ほんの5キロを1時間かけて進みました。道路は液状化で陥没、アスファルトはめくりあがり橋は崩壊寸前、スタッフは難民キャンプが中心部の近くの公園にあるのでそこに集まるようとの指示でした。ただ我々は地元のニュジーランド人と情報を交換してとりあえずホテルに立ち寄ることにしました。ITFスタッフの話では倒壊の恐れあり立ち入り禁止だったのですが、やっとのことたどり着くと健在でした。停電、断水だけれどとりあえず荷物も無事で、寝場所も確保、ここで大量にストックしてあるカップラーメンが大活躍、電気だけは夜中復旧して食事にも困らず余震におびえながらもこの夜を乗り切りました。
4箇所のオフィシャルホテルはセンターにあるため立ち入り禁止、荷物も貴重品も取りにいけない状態、ちょっとセンターから外れた場所にあるモーテルでラッキーでした。ましてやレンタカーがあるため移動手段も確保してある状態でした。
翌日、赤十字の被災センターでキャプテン会議が行われ、選手の被災認定書と試合の中止が決定されました。個人戦も翌週オークランドに移して開催という案も出てましたがこの被災の状況を考えて中止の決定が出ました。さてここから、帰りたくても帰れない、協力的なのはニュジーランド航空だけで他の航空会社は非協力的、ITFのスタッフは何もなくなってしまった選手達のフォローで忙しくここからはまったく自給自足状態。食料や飲み物は開いているスーパーマーケットを見つけ出し調達できましたが断水はこの後5日間ほど続き、プールの水をくみトイレを流すという生活を続けてました。
3日たった金曜日にはさすがにシャワーが浴びたくなり、銭湯などない国なので、200キロほど走ってハンマースプリングスという温泉場まで行くことにしました。
久しぶりのシャワー快適でした。毎日日本の旅行代理店などにコンタクトしとりあえず3月に入った頃、帰国できるとめどがつき、どうにか男4人で週末を楽しむことにしました。
次回写真をアップしましたので続きを
レポートを続けます。テニスコートを出発できたのは午後6時過ぎ、滅茶苦茶渋滞の中ほんの5キロを1時間かけて進みました。道路は液状化で陥没、アスファルトはめくりあがり橋は崩壊寸前、スタッフは難民キャンプが中心部の近くの公園にあるのでそこに集まるようとの指示でした。ただ我々は地元のニュジーランド人と情報を交換してとりあえずホテルに立ち寄ることにしました。ITFスタッフの話では倒壊の恐れあり立ち入り禁止だったのですが、やっとのことたどり着くと健在でした。停電、断水だけれどとりあえず荷物も無事で、寝場所も確保、ここで大量にストックしてあるカップラーメンが大活躍、電気だけは夜中復旧して食事にも困らず余震におびえながらもこの夜を乗り切りました。
4箇所のオフィシャルホテルはセンターにあるため立ち入り禁止、荷物も貴重品も取りにいけない状態、ちょっとセンターから外れた場所にあるモーテルでラッキーでした。ましてやレンタカーがあるため移動手段も確保してある状態でした。
翌日、赤十字の被災センターでキャプテン会議が行われ、選手の被災認定書と試合の中止が決定されました。個人戦も翌週オークランドに移して開催という案も出てましたがこの被災の状況を考えて中止の決定が出ました。さてここから、帰りたくても帰れない、協力的なのはニュジーランド航空だけで他の航空会社は非協力的、ITFのスタッフは何もなくなってしまった選手達のフォローで忙しくここからはまったく自給自足状態。食料や飲み物は開いているスーパーマーケットを見つけ出し調達できましたが断水はこの後5日間ほど続き、プールの水をくみトイレを流すという生活を続けてました。
3日たった金曜日にはさすがにシャワーが浴びたくなり、銭湯などない国なので、200キロほど走ってハンマースプリングスという温泉場まで行くことにしました。
久しぶりのシャワー快適でした。毎日日本の旅行代理店などにコンタクトしとりあえず3月に入った頃、帰国できるとめどがつき、どうにか男4人で週末を楽しむことにしました。
次回写真をアップしましたので続きを